第320話 逃げる男

文字数 1,046文字

そしてドア越しの智に向かって呼びかけた。

「なぁ智、お前の姉ちゃんは30超えたら欲しいものが無くなったって、いつ聞いてもそれ。ブランド物欲しがる訳でなく、海外旅行行きたがる訳でない。慎ましく生活して慎ましく生きてる。稼ぎがいのない女だよ」

何でこんなことを今言い出したのだろう。
私も健も意図がわからず重ちゃんを見つめた。

「でもさ、俺はアキが本当はひとつだけどうしても欲しい物があることを知ってる。子供だよ子供。俺が子供嫌いだとか、結婚なんてしたくないってネタにしてるから絶対に口に出さないけど、そんなの一緒にいたらわかるだろ?」

彼はずっと私のそんな気持ちに気付いていたらしい。

「俺は今別に子供いてもいいかなって思ってる。だって好きな女が欲しがってる物あげたいだろ?」

涙が溢れてきたから上を向いた。彼は振り返りそんな私を見て笑った。

「俺はずっと結婚なんて一生しないと思ってた。でも亜紀の為だったらどんな責任でも負ってやれる。一生守っていこうと思ってる。この気持ちを愛してるって言うんだよな」

突然の告白に涙を流しながら「何でわざわざ健と智の前でそんな事言うのかな」と呟いた。


健は苦笑いしながら私と彼を見ている。

重ちゃんは智に諭す様に優しく語りかけた。

「なぁ智は子供できたから仕方なく嫌々結婚したのか?」

戸の向こうから声が聞こえてきた。

「違うよ、愛してるから結婚した」

「愛してるようには到底思えないけどな。俺が、俺が、俺がばっかりで美子に対する思いやりが全くない。美子に対してあれしてやろう、これしてやろうって気持ちが全くない。

奥さんはお前がどんなヘマしても受け入れて尻拭いしてくれるお前の姉ちゃんじゃない。

お前どうすんだよ、こんな大事な時に逃げて美子のお前への愛情はリアルタイムでどんどん減ってるだろうな。このままだと離婚だよ」

「離婚したくないよ!兄ちゃん俺どうしたらいい?」

「今からでもいいから病院に行くしかないだろ、美子は待ってるよ絶対に」

「そうか、わかったよ。俺今から行く」

ガチャっと鍵が開く音がした瞬間、重ちゃんが健に「そっちの手」と合図をした。

智が出てきた瞬間、重ちゃんは智の右手を健は左手を掴んだ。「何すんだよ!俺本当もう逃げないよ」

「ごめん、お前の事信用してない訳じゃないけど、コロコロ意見変わるから病室の前までこのまま行くからな」

「お前高校の時、追試受けるの怖いって逃げ回って先生二人に抱えてられてじゃないと試験受けられなかったじゃねえか」

「それとこれとは別だよ」と智は大声で叫んだ。
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