第277話 追撃される

文字数 1,804文字

その日の夜、高崎で智と落ち合い東京駅に降りたった。

美子ちゃんは出産予定日まであと二週間となりいつ生まれてもおかしくないらしい。普通なら楽しみで仕方ない時期のはずだが智は不安そうな顔をしている。

「今日生まれたら姉ちゃんどうしたらいい?」
「どうもこうもしないでしょ?涙流して喜びなさい」

我が子の誕生を前に不安がっている智に心底腹が立った。美子ちゃんはつらい思いをしながら妊娠してるのに、いい加減に父親としての自覚を持ってほしい。


美子ちゃんの実家に着くと今にも生まれそうな大きなお腹の美子ちゃんが出迎えてくれた。

リビングでお父さんとお酒を飲んでいる弁護士さんと会い、私が持って来た偽の借用書を渡すと弁護士さんは「どうせやるならもっと本格的に作ればいいのにな」と笑った。

「俺本当に腹立つよ!あの女何でまた俺達に」
智が悔しがっていた、当時智は小学生だったけれどあの女が家に来たことをはっきりと覚えているらしい。

「智君が怒るのは最もだけれど、ああいう奴らには関わらない方がいい。事務所の若い者に行かせて接近禁止と悪評を流させないように誓約書を書かせてくるから」と弁護士さんが智を宥めた。

この人ダンディで優しそうだけれど凄くやり手なんだろうな。

智に美子ちゃんが口を酸っぱくして言っている。
「とにかく女が来ても何にも話さない、お金を払わない」

智は満面の笑みで答えた。
「わかったよ」

本当にわかっているのか、怪しい。智じゃなくて私の所に女が来て本当に良かった。



智を美子ちゃんの家に残し品川駅近くの居酒屋に向かう。

重ちゃんが後輩のビール腹団蔵さんとポテトサラダさんと飲んでいるから来てと言われていたのだ。

店に入ると二人に挨拶してレモンサワーを頼んだ。彼は止めなかったので今日はアルコールを飲ませて貰えるらしい。

あの女の話を誰かに聞いて欲しかった。団蔵さん達にはドン引きの話だっただろう。あらかたの事情を説明すると団蔵さんとポテトサラダさんは少し固まっていた。

彼が「父親も騙せたから娘のところ行けばワンチャンあるかもって来たんだろうな」と呟いた。

突然もう既に酔っ払っている団蔵さんが涙を流した。

「僕、亜紀さんのお父さんの話聞いて娘に恥ずかしく無いような父親にならなきゃと思いました」
「団蔵さん結婚してるんですか?」
「そうなんです、去年出来ちゃった結婚しました。娘は今六ヶ月です」
「えー可愛い盛りじゃ無いですか、えっでも団蔵さんってギャンブル趣味なんですよね」

団蔵さんのユウツベチャンネルでひたすらギャンブルについて熱く語っているのを見たことがある。

そう言うとポテトサラダさんが笑った。
「団蔵さん、今日も一日中パチンコ屋にいたそうですよ」
ポテトサラダさんの告げ口に団蔵さんは狼狽えて何故だか私に「すいませんでした」と謝ってきた。

話を良くよく聴くと団蔵さんはあんまり稼ぎがないので奥さんが娘さんを実家に預けてバイトを掛け持ちし家計を支えているらしい。

稼ぎが少なくギャンブル好きの男……それでも一緒に夢を追いたい。
会ったこともない奥さんを思うと泣ける。
 
ポテトサラダさんは25歳で、昨年脱サラしてお笑いの道へと来た。お陰でご両親から勘当されているらしい。いつかご両親に認めて貰おうと頑張っているそうだ。

二人ともの話を楽しく聞いていると、サラちゃんの話になった。


「お前ら俺の家サラちゃんに教えただろう?」
団蔵さんが必死に首を振る。

「僕じゃ無いです、サラちゃんタクシーで仕事終わりの丸山さんの後つけたって言ってましたよ」
「何それ、怖っ」

流石の彼の顔も引き攣っている。

ポテトサラダさんが「あの子行動力とガッツだけはあるから」と呟いた。団蔵さんが「それで社長に気に入られてあんなにごり押しされて」と言うとポテトサラダさんも同調した。

売れない芸人さん達はゴリ押しでも運でもとにかく何でもいいから売れたいらしい。

大分出来上がって来た頃、二杯目のレモンサワーを飲みながら少し大きな声で叫んだ。
「あー本当に今週はツイてなくて嫌な事が沢山あったな」

そう呟くと彼と団蔵さんとポテトサラダさんの時が止まった。どうしたんだ、何があったんだろう。

「何どうしたの?何かあった?」

そう聞くと三人が気まずそうな笑顔を私に向けた。

「どうしたの?何か様子がおかしいけれど」
彼が心底気まずそうに一枚のA4サイズの茶封筒を取り出し「ツイてない週の総仕上げだ」と呟いて机に置いた。


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