第333話 別れの季節

文字数 1,171文字

3月29日、天気は晴れ。
帽子岳がよく見渡される陽気な春の一日。

午前中に携帯を番号もろとも変えた。あの人は几帳面だから、かかってきた電話には何があっても翌日までには何かしらの連絡をしていた。

それがないということは、そう言う事なんだろう。

これでいたずら電話に悩まされなくていいし、いつか連絡が来るかもと電話を片手に眠ることも無くなる。


先程引っ越し屋さんがダンボールと家具を持っていき部屋にはもう何もない。

この部屋、こんなに広かったんだ

智が「姉ちゃん、これ新しい番号?」と聞いてきたから「そうだよ」と答えた。

「携帯ごと変えなくてもいいんじゃないの?もしかしたら兄ちゃんから連絡あるかもしれないんだし」

「智!もうその名前は出さない約束でしょ?」「……あーあ、兄ちゃんもひどいよな」

「あんたの携帯、丸山さんの番号とアドレス着信拒否にしといたからね、絶対連絡来ないよ」

彼を好きだった智は悲しそうに頷いて外へと出た。

思い出がいっぱい詰まったこの部屋に一人でいると涙が出てくる。

「さようなら」

そう呟くと振り返らずに部屋を出た。

部屋を出ると外階段の下に村の人達、ほぼ全員が集まってきていて腰を抜かすかと思った。何百人いるのだろう。

おそらく私の見送りに来ているのだ。

「先生!来た!」「先生の弟さんもいるよ」と子供達の叫ぶ声が聞こえて何故だか拍手が巻き起こった。

もうこんな光景をみたら私は泣かずにはいられない。

「皆さんわざわざ麓まで来てくれてありがとうございます!」

そう叫ぶと村長さんから花束を貰った。

また拍手が巻き起こる。


何故だか村伝統の山の上太鼓と山の上大笛まで演奏され出した、さながら祭りの雰囲気だ。

「先生ありがとう!」「元気でな!」村の人が口々に叫んでいる。

泣きすぎて顔が上げられない。

村の婦人会の人から手作りの鞄を貰った。

電気屋さんの源さんから木彫りの仏像を貰った。

レタス農家の人からレタスを五つ貰った。


子供達から手紙を貰い、昔の教え子達から手作りの山の上村写真集を貰った。


一つ一つの物が嬉しくて涙が溢れて止まらない。

「本当にありがとうございました」

また震える声で挨拶をした。真美先生と美雪先生が「落ち着いたら高崎まで遊びに行きますから」と手を振っている。

美香先生はお子さんを連れてきてくれていて可愛くて頬が緩んだ。

村人も学校の先生たちも役場の人たちもみんなが手を振る中、車に乗り込んだ。

何故だか助手席の智までもが号泣している。

手を振りながらゆっくり車を発進させた。

「必ずまた来ます」

窓を開けてそう叫んだ。

バックミラーにうつるみんながだんだん小さくなっていく。

さようなら、山の上村のみんな

途中、佐久平駅を通り過ぎた、思い出がつまりすぎていてまた涙が止まらない。でも引っ越し屋さんが先に行って待ってるし、新しい学校の準備もあるし、泣いてばかりはいられない。
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