第355話 五月の新緑

文字数 2,898文字

火曜日午後六時、仕事を無理に定時で終わらせると遠藤さんとマンション近くのコンビニで待ち合わせをした。

時間より五分早く着くともう遠藤さんが待っていてくれた。

驚くことに遠藤さんが乗っていた車は丸山さんが乗っている車と全く同じだった。遠藤さんは私の五つ上だから40歳、40代の男の人はみんなこの車に憧れるのだろうか。

大型ショッピングモール付属の映画館に来ると、ちょうど見たかった映画がすぐに上映だったので映画館に入った。

映画の後、ショッピングモールの中の店でご飯を食べるのかと思ったら「高崎グランドホテルでステーキ食べない?」と言われて思わず笑ってしまった。

本来はやっさんみたいな若者じゃなくて遠藤さんのような40代の大人の男の人が似合う場所なのだ。

「ちゃんと自分の食べた物はお金出させてくれるんなら行きます」と答えると何回かの押し問答の後に「わかった、そこまで言うなら割り勘しよう。そしたら行ってくれる?」と言われたので頷いた。

やっぱり人に奢られるのは苦手だ、何か怖いし。

高崎グランドホテルで美味しいお酒を飲みながら美味しい料理を食べる、遠藤さんと映画や小説の話をして、会話も弾んで楽しい一時を過ごした。

食べ終わった後、さも当然かのように遠藤さんにこう言われた。

「部屋取ってあるから、行こうか」

唖然とした。
この人と出会った八年前は車も普通の大衆向けの国産車に乗ってたし、洋服もお母さんが買ってきたと自宅通学の大学生みたいな事を言っていたし、こんなにオシャレで気が回る感じじゃ無かった。

でも自分の仕事が好きでベテランの看護師さんに馬鹿にされながらも一生懸命やっている所が好きだった。

あの遠藤さんはこんなことは言わなかったはず。

こう言う時に奢ってもらってないから、容赦なく断れる。やっぱり奢られるのは怖い。

「私は昔の素朴な遠藤さんが好きでした。せっかく部屋とってあるんだから、誰か違う女の人呼び出して下さいね、じゃあ」

そう言うとその場から走って逃げた。

こう言う時に相手を攻撃せずに素直に部屋についていく女の方がみんな幸せになっている、それは自分でもよくわかってはいる。

けれど潔癖症の自分はどうしても無理なのだ。

ホテルの正面玄関に止まっているタクシーでマンションの部屋まで帰った。

部屋には智とやっさんとさくらちゃんが居た。三人でスマホゲームをしているようだ。

さくらちゃんが「亜紀先生、お医者さんとのデートどうでした?」と聞いてきた。

この話を誰かに聞いて貰いたかった。待ってましたとばかりに話し始めた。

「あー最悪だった、やっぱそんな上手い話は転がってない」

さくらちゃんが興味津々で聞いてきた。
「何があったんですか?」

「映画見て、高崎グランドホテルのステーキ屋でご飯食べようって言われて楽しく会話して、楽しくお酒飲んだんだよ。で帰りに「部屋取ってあるから行こうか」って言われてさ、奢ってもらってないから容赦なく帰ってきた」

「えー凄く遊んでる感じですね」
「そうだよ、「部屋取ってあるから行こうか」だからね」

その時の遠藤さんのちょっとかっこつけた手振りも声質も真似するとみんなが笑った。

「兄ちゃん以外に姉ちゃんとやろうとする奇特な男いるんだな、信じられない」

「うるさいな。その名前出すなって、いやあ遠藤さんも昔はあんな人じゃ無かったのにな。八年前の出会った時だったら、ショッピングモールの店で食べて楽しく帰ってきてただろうな」

さくらちゃんが納得できることを言った。
「お医者さんってモテるから、それで今まで成功してきたんでしょうね。だからさも当然かのように誘って来るんですよ」

「ねぇ何なんだろう、あの女慣れした感じ。「部屋取ってあるから行こうか」だからね。行かねぇよ」

そう言ってみんなで笑った。

夜十時過ぎに遠藤さんから謝罪メッセージが来ていたけれど、適当に返して寝た。

やっぱりそんな上手い話はないのだ。


翌日午後六時、学校に「うちの子の勉強ができないのは先生のせいだ」と、クレームを言いにきた保護者の対応をして、疲れ切って職員室に戻ると怒涛の遠藤さんイジリが始まった。

案の定さくらちゃんが喋ったらしい。
島田先生が「山浦先生、何で昨日の医者とのデート上手くいかなかったんですか?」と叫んだ。

ここに塚田君がいるからこんな事喋りたくない、でももうヤケクソだ。

「いや、だからさ楽しく食事した。でも「部屋とってあるから行こうか」って言われたの、気持ち悪い」

遠藤さんの声とポーズを真似すると凄くウケた。

新婚の美穂先生が参加して来る。
「お医者さんなのに勿体ない。別に会話盛り上がってたらいいじゃないですか?何が駄目だったんですか?」

「いや駄目なところはない。いい人だし優しいし、お医者さんだし。でも部屋取ってあるってそういうことでしょ?気持ち悪いじゃん!プロ呼んでよ!」

そう言うとみんなが笑った。島田先生が更に話を変な方向に広げようとしてくる。

「じゃあやっばり塚田先生と付き合うしかないですよ」

塚田君は気まずそうに私を見ている。職員室を見渡すとファンの人はさくらちゃんしかいなかった。

「塚田君と付き合ったら一ヶ月で「何か違う」って捨てられるから無理」

「なんでですか?二人はお似合いですよ」

「私はスポーツ嫌いの文化系の王、塚田君はスポーツ好きの体育会系の王だから」

「いやいやお似合いですよ、付き合えばいいじゃないですか」

「塚田君がもうちょっと禿げたり太ったりして性格悪くなってたらここで再会したのも運命だって付き合えてた」

そう言うとファンの人達を思い出したのか他の人達は笑った。島田先生はさくらちゃんの存在をすっかり忘れて追撃する。

「山浦先生、イケメンの塚田さんの方がいいじゃないですか。あの塚田さん取り囲んでる人達より遥かにお似合いですよ!塚田さんもあの人達と付き合う気ないって言ってるし」

するとさくらちゃんが泣きながら職員室を出て行ってしまった。鞄を持っていたから帰ったのだろう。

島田先生が気づいて「ヤベ」という顔をした。職員室にも緊張が走る。

「だから、もう二度と塚田君のせいで友だち減らしたり、人と気まずくなったりしたくない。

大学時代に何があったか知ってるでしょ?私が経済学部の優しくて可愛い寧々ちゃんの彼氏にちょっかい掛けてる嫌な女扱いされて、かなり酷い目にあった話を、卒業まで経済学部棟近寄れなかったから!」

「あーあれは塚田先生が悪いですよね、女と別れもせずフラフラとして、って山浦先生、ここでそれ言っちゃっていいんですか?」

他の先生達は大学時代になにがあったか知らない。みんな各自仕事をして聞いていないふりをしてくれている。

しまったと思ったが開き直るしかない。
「……もう時効でしょ?」

「そうか、でも山浦先生、塚田先生の元カノの名前ここで叫ぶのやめてあげて下さい」

島田先生がわざとそう叫ぶとまたみんなが笑って雰囲気が元に戻った。

「塚田君、マジでごめんなさい」
そう謝罪すると塚田君は気まずそうに「大丈夫だよ」と言った。

「あっ、みんな牛丼食べたい?実は株主優待券を持ってて」

島田先生が「株主優待券?」と大袈裟に叫んで騒ぎ出した。









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