第257話 深夜の訪問者

文字数 845文字

今日は違う所に泊まろう。

あんなに酷いこと言って彼に合わす顔がない。リビングに置いてあった鞄を持った。

いきなり行っても健は泊めてくれるだろう。

コートを着て鞄を持って玄関の鍵をあけようとした。この部屋は内鍵1つにしても複雑な構造をしている。最初の鍵は簡単に開けられたが、下の鍵が難しい。どこをどうしていいかわからない、セキュリティが頑丈過ぎる。

「そこ右回して」
後ろから声がしたので言われた通り右に回すと最初の鍵がかかってしまった。

思わず振り向くと濡れた髪に私が先週クリスマスプレゼントとしてあげたバナナのTシャツを着た彼が立っていた。
「亜紀は今からどこ行くの?」
「……ここではないどこかへ」

「ファンの鑑か」
彼はそう言っていつものように笑った。

「東京は亜紀が住んでる所と違って夜出歩いたら危ない、夜に一歩外出たら犯罪者やゾンビがうろうろして襲いかかってくるからな」
「ワインクラフトじゃあるまいし」


そう合いの手を入れながらも、どうにかしてこの部屋を出ようと鍵をガチャガチャやるけれど焦れば焦るほどうまく開かない。この部屋を出たら走って外に出よう。この人体力無さそうだし走れば多分撒ける。

彼が大きな溜息をついた。
「今は夜の十時半だ、電車もないし、ホテルも泊まれないよ」
「……タクシーで健のところ行く」
「健の所に女いたらどうすんだよ、邪魔だろ?」
健のあのいけすかない彼女の顔が思い浮かび、一瞬怯んだ。その隙をついて彼は私を抱き寄せた。

「なぁ亜紀、どんなに酷い喧嘩してもその夜は抱き合って寝て仲直りしようって約束しただろう?」
優しい言葉を聞いて頬を涙が伝う。

「……あんな酷いこと言っちゃって仲直りできる自信がない」

彼がいつものように髪を撫でてきた。
「最初に言い出したの俺だ、そしたら倍返しされた」と彼は笑った。


彼に抱きしめられて泣いていた。自分でもみっともないと思うけれど子供みたいに声を上げて泣いていた。

やっぱり私の精神年齢は54才ではなかった。
彼は何にも言わずにただ抱きしめて、髪を撫でてくれていた。



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