第350話 五月の新緑

文字数 2,762文字

木曜日の放課後、職員室で明日出すお便りを作っていると、久しぶりに健からメッセージが届いた。

5月最後の日曜日に代役だけれども大きな舞台に立てることになったという報告と、都合がついたら観に来て欲しい旨が書いてあった。

良かった、他の仕事も決まったんだ。

連続深夜ドラマに今出演中だけれども、それだけで終わってしまわないか心配だったので、ひとまず胸を撫で下ろす。

次に届いたメッセージに「亜紀の誕生祝いでいい席用意するよ」と生意気なことが書いてあり思い出した。

そういえばこの日は私の誕生日だ。

もうすぐ36歳になってしまう。

30歳過ぎてからは誕生日が憂鬱になった。

去年は36歳になるまでに結婚しようと誓った。
もういいや、よしっ、40歳までには結婚しよう。
毎年こうやって目標を引き伸ばしている。

職員室では手の空いた若い人たちが田植えの話をしている。近所の農家さんのご厚意で今年から四年生が田植えをするらしい。

島田先生が「塚田先生の実家も米作ってるんですよね」と話を振った。
塚田君がテストの採点の手を止めた。
「実家の隣がじいちゃん家でその隣が田んぼだよ」

若い女の子というか塚田君を好きな人達が沸いた。いつの間にかメンバーが六人に増えている。

「塚田先生、じゃあ田植えするんですか?」
「じいちゃんがやってるよ、そういえば今週末田植えするって言ってたな」

ここぞとばかりに若い女の子が騒ぎ出した。

「うわっ!見たいです!」
「……いやでも機械でやってるし、参考にならないと思うよ」

「機械でも見たい!凄く興味あります!」「田植えって凄く見たいです!」「実際に見たいです」「子供達に教える前にまず自分で体験する事が大切だって校長先生よくおっしゃってますよね」

塚田君は「見に来る?」と言わなければならない状況に追い込まれた。

「……じゃあ見にくる?」
「やった!」

塚田君は少しゲッソリしているように見えた。

「塚田先生のお家の場所はどこですか?」
「あーえっと、どうやって説明していいかわかんない。山浦さんなら近くのスーパーまでわかると思うんだけど」

何故だか塚田君は私を巻き込もうとした。あの若い女の人達の相手をするのが面倒なんだろう。

若い女の先生達がこう言った。勿論その中にはくらちゃんも入っている
「山浦先生も一緒に行きましょうよ」



土曜日の午前十一時、塚田君の家の近くのスーパーに十何年ぶりに行った。

中に一歩足を踏み入れると懐かしい匂いがした。建物や設備は少し古くなったような気がするけれど、相変わらず配置は変わっていない。

若い人たちがお菓子をみたいというのでお菓子売り場に行くと売っているものが当時とそんなに変わらない。

ジャン剣グミを思わず手に取ってしまった。このお菓子は塚田君オススメのお菓子だった。

昔の思い出深いスポットに行くと、その当時の記憶を思い出してしまい、当時の気持ちが蘇るこの現象は何なんだろう。

ちょうどそこに現れた塚田君を見て当時と同じくときめいてしまった自分がいる。


塚田君のおじいちゃんの友達だというスーパーの店長さんのご好意で車を止めさせてもらった。

塚田君の実家まで歩いて三分程だった。

これだけ近いとそりゃあよく来るよね。もしかして私に会いに来てたんじゃないかと勘違いしていた当時の自分をぶん殴りたい。

大きめな家が二つ並んでいて、片方がおじいちゃんおばあちゃんの家で片方が塚田君の家らしい。

塚田君のお母さんは、私たちを出迎えると「ようこそ、こんなに若い人沢山来てもらってじいちゃん喜ぶね」と嬉しそうにしていた。

塚田君のことを好きな人達は早速お母さんに媚を売り始めた。「大きなお家ですね」「お母さん何でもお手伝いします」

全員で家の隣の田んぼに行くと、もうおじいさんが苗の用意もしてくれている。

機械で植えるのを見学しながら、懐かしい実家の風景を思い出していた。

女の子達は今度はおじいさんをヨイショし出している。「すごーい」「お若いですね」

その様子を眺めていると塚田君が私の隣に来た。

「山浦さんの実家も米作ってた?」
「うちの本家のおばさんが作ってて、よくその手伝いしてたんだよ。懐かしいな」

「そういえばもう少しで誕生日だね」
また塚田君にときめいてしまった。

「塚田君、そりゃモテるよ。私なんかの誕生日覚えててくれたなんて」

塚田君は穏やかな笑顔でこう言った。
「忘れないよ、その日一緒に飲みに行こうか」

優しいし、かっこいい。
フラッと昔の気持ちに戻ってしまいそうな自分がいる。

勘違いしてはいけない、これは二人ではなくさくらちゃんと三人でとかそういうことなのだろう。

「あっ、その日健が大きな舞台やるっていうから、弟夫婦と東京に観に行く約束したんだった」

「そうなんだ、じゃあその次の」

そう言いかけると塚田ファンクラブの人達がこちらに押し寄せてきた。

今度は塚田君本人を取り囲む。

唖然とその様子を眺めていると、塚田君のお母さんに話しかけられた。

「こんなに女の子いっぱい見学に来てくれてるのに、うちの子まだ独身なのよ」
「大丈夫ですよ、塚田君モテモテだから選び放題ですよ」

「あなたは独身なの?蓮とかどう?」
「独身ですけど、私は大学の同級生なんです、他に若くていい子いっぱい」

そう言って塚田君の取り巻きを指さした。

「息子には同年代のしっかりしてる子にお嫁さんに来て欲しいの」
「いやいや、私なんか両親ろくでもなくておまけに二人とも亡くなってるし、今月末で36だし、田舎出身だし、塚田君の結婚相手としては」

「そんなこと関係ないわよ、ちょっとうちの息子と結婚する気ない?」

お母さんがにっこりと笑ってくれた。結構グイグイくるお母さんだけど、「そんなこと関係ないわよ」の一言が凄く嬉しかった。

後ろから声が聴こえる。
「母さん、何言ってんだよ!」

一部始終を聞いていたらしい塚田君が怒っている。

女の子達はいつの間にか塚田君のお父さんらしき人を取り囲んでいた。


私が好きになる人は優しい人が多い、総じて好きな人のお母さんはたいてい強烈だった。そのお母さんの中でも一番優しそうだし、気が合いそうだ。

今塚田君と結婚したら、お母さんともまぁまぁうまくやれそう。

誰も人の頭の中までは制限できない、妄想は自由だ。

暫くそんな妄想をしていると、何だか昨日から続く謎の腹痛が酷くなってきたような気がする。

別にトイレに行きたい訳ではない。

そのうち治ると自分に言い聞かせた。

塚田君の家でおやつをご馳走になり、某お見合い番組の人気No. 1の人のお宅訪問のような光景を興味深く眺めていた。

夕方、私の部屋に帰ってくると治るどころか益々お腹の痛みが強くなってきた。

脂汗が出てくる、これはちょっとヤバいかもしれない。

智に電話して美子ちゃんに相談すると「すぐに高崎病院の夜間緊急に行って」と言われたので智の運転で向かった。
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