第233話 伊豆の踊子

文字数 1,078文字

「売れない頃、金なくてさ木村君と二人でもやしのフルコース作ろうってもやし茹でたのと焼いたのと蒸したの作って、結局、味同じじゃねぇかって朝まで笑ってたんだよ」
「そっか」
「高校の時からずっと付き合ってた女と別れてヤケになってたの慰めてくれたのもあいつだし、漫才で新人賞取ったときに祝勝会開いてくれたのもそうだし、五年前に俺が謹慎してるときに慰めてくれたのも木村君だし、俺の数少ない大切な友達だったんだよ」

そう彼が言い終わった時、電車はトンネルを抜けた。トンネルを抜けると何故だか青空が見えて海の色が綺麗に青に反射していた。

「なぁ亜紀。いつもみたいな真っ直ぐな正論で俺のこと叱って」

彼の顔を見つめると今まで見たことない不安そうな顔をしていた。
「何で?叱る場面なんてどこにもないじゃん」

「木村君のこと避けだしたの俺だから、あの女と付き合いだして、木村君はあの女に心酔してたから、裏の人脈と遊んでる俺カッコいいで、どんどん悪い風に染まっててさ。ある日、「そんなに悪い人達じゃないよ、丸ちゃんにも紹介してあげようか?」って言われてそれ以来個人的に会うのやめた。俺が木村君のこと見捨てたんだよ」


私は考えに考えたけれど彼の望むようには叱れない。

「……仕方ないよ。それしか言えない」
「俺はこの日が来ること予想してた。これから東京戻って事務所行くけど、おそらくマスコミが沢山いる。「個人的に交流があったとお聞きしましたが」って聞かれて「ここ何年か個人的な付き合いはしていないのでよくわからない」って言うためだけに大切な友だちのこと見捨てたんだ」
彼が悔しそうに空のペットボトルを握りしめた。目に涙を沢山溜めている。

彼と付き合ってわかったことがある、彼はなかなか他人に心を開かないけれど、一度心を開けばその相手にはかなり情深くなるのだ。だから今この状態であることに相当苦しんでいるのだろう。

「仕方ないよ」
私はこの言葉を繰り返すしかなかった。
「俺最低なんだよ、良かったライバルが一人減ったってホッとしてる自分もいる。大切な友達なのに何考えてるのって俺を叱ってくれよ」

「……私が叱れるのは、社長さんから呼ばれてるのに、友達が大変なことになってるのに昨日の夜私と何してたの?ってことだけだよ」
「何って、体の奥深くまで押し入って繋がって愛し合ってたんだよ」と彼が泣きそうな顔でエロいことを言った。

けれど私はそれに構うことを止めた。
「性善説がギリ通じる職場で呑気に生きてる私が、厳しい世界で頑張ってる重ちゃんにそんなこと叱れるわけがないじゃん。仕方ないよ」

項垂れて涙を流した彼を抱きしめた。

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