第216話 伊豆の踊子

文字数 1,415文字

電車の車窓からは都会の風景がなくなり、のどかな畑や緑が見えるようになった。

「湯ヶ島温泉とか下田港とか見られるかな」
「あそこはまた違う方面なんだよ。だから伊豆の踊子のゆかりの地は見られないぞ」
「そっか伊豆って言っても広いんだね」

聞き分け良く答えはしたが彼の詳しそうな言いっぷりに思わず聞いた。
「ゆかりの地行ったことあるの?」
「実は去年の春ふらっと一人で行った、嫌いな車もあそこまで運転して」
羨望の眼差しで彼を見ると「連れてってやれば良かったな」と私の髪を撫でた。

「その頃出会ってないし」と笑うと「頼む、どうにかしてもっと前に出会ってくれ」と無茶苦茶なことを言うのでまた笑った。

「小説のゆかりの地とか行くの好きなの?」
「昔の小説とかドラマとか歴史舞台のゆかりの地が凄く好き、大学の頃社会科コースにいたから」
「そうか、今まで休みが合わなくてどこも連れてってやってないけれどそういう所がいいのか。ネズミーランドとかは?」
「学校の子とか今まで教えてきた子達わんさかいるからね、若い人が集まる場所は進んで行きたい場所ではない。それに乗り物怖いし乗りたくない」

彼は機嫌良さそうに笑った。
「しげちゃんも怖いんでしょ?」
「そうだよ気が合うな。俺と亜紀は運命の赤い糸で結ばれてるんだぞ」

彼はこっちが赤面するような甘い言葉を言ってニコニコと機嫌が良さそうだった。なのでずっとやりたかった事を思い切って彼にお願いした。

「実は東京でどうしても行ってみたい所があって、今度時間があったら連れてってほしいんだよね」
「珍しく亜紀が俺にねだってきた。かわいいな、どこでも連れてってやるよ。どこ?」

「吉原に行ってみたいんだよね」
彼は急に元の神経質な表情になり無言になった。電車のガタンガタンという走行音がよく聞こえる。
「江戸関連の本読んでたらよく出てくるから、吉原詳しいでしょ?」

「そんな所行って何するんだよ!」
「ここが遊女が投げ込まれた投げ込み寺かとかお客さんが振り返る見返り柳とか見てみたいんだよね、でも一人で行くの怖いし。詳しいでしょ?」

「文末に必ず「詳しいでしょ?」つけるのやめろ!俺が週刊誌に取られた場所も吉原なの、そんな場所に連れてくの無理」

「お願い、この店に通ってたんだって苦々しい顔すると思うけどそれ以上に行ってみたい。行きつけの店があるなら詳しいでしょ?」

彼は私に向かって頭を下げた。
「お願いします、他の場所にして下さい。そこだけは」

彼にとって私を吉原に連れて行くのは相当な悪夢のようだ。必死に懇願する様子を見ていたら可愛く思えてきてしまった。

「じゃあ今日伊豆に連れてきてくれてるから、許してあげる」
何故だか高圧的な態度に出ると彼は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「今日亜紀の好きなこと何でもするから、亜紀は何されると嬉しいの?」
「えーっ何だろうな」
今までを振り返り何が嬉しかったか考えている時だった。

急に彼の携帯が鳴った。
「こんな時に何だろうな、ちょっと話してくる」

そう言って携帯を持ちながらデッキに出て行ってしまった。すぐに戻って来ると思ったけれど、彼は一向に帰って来ない。

暫くスマホのニュースを見ていたけれど、飽きた。なので暫く一人で外を眺めていると急に山が開けて青い海が見えた。海無し県にしか住んだ事がないので海を見ると気分が高まる。彼に「海が見えたよ」と伝えたかったけれどまだ帰って来ない、もう二十分経ったのに何をしているのだろう。










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