第340話 四月の風

文字数 1,790文字

まだ隣の隣のクラスの子の名前まで覚えきれていない。だから誠子さんってどの子だったかなと必死に思い出していた。

婦警さんに付き添われて校長室に入って来た誠子さんは想像よりずっと幼かった、服装こそ無理やり高校生っぽくしていたけれど、顔がまだあどけない。

よくこんな子供を性的な目で見られる大人がいるなとうんざりする。


婦警さんが帰り、校長室には私と塚田君とさくら先生と誠子さんの四人だけになった。

最初はとにかく打ち解ける為に世間話をした。

誠子さんは男性アイドルグループが好きでネットで知り合った人と東京までライブに行くらしい。

「私はホワイトアンドブラックが好き」と言うと隣で塚田君が「まだ好きだったの?」と驚いた。

「今年で好きになって二十四年目だから」と言うと誠子さんは「すごい、先生一途」と初めて笑った。

暫くの世間話の後に本題に切り込んだ。


アプリで会ったという人のことを聞いてみると「40歳でオジサンだけと凄い優しかった、いっぱいお金もくれたし」

とあっけらかんと答えられた。

「かっこよかったの?」「ううん、ぜんぜん」

思わず隣にいたさくら先生が口を挟んだ。

「でも自分の体売るなんて、そんな事しちゃダメでしょ?」

確かにそう言いたくなる場面だけれど、今はまだ違う。案の定、誠子さんはムッとしたようにわざと私達を困らせるようなことを言ってきた。

「うーん、でも上手い人に当たると気持ちいいでしょ?先生だってセックス好きだよね?」

何てことを言うんだと思いながらも、隣に座っている塚田君の存在を頭から消すことにした。私は子供を守る仕事をしてお金を貰っている。

表情を変えずにこう返した。
「確かに気持ちいいことかもしれないけれど、好きじゃない人としたら気持ち悪くないの?」

「目瞑って違うこと考えて我慢してれば大丈夫」
「ほら、やっぱり気持ち悪いって思ってるんでしょ?」

「気持ち悪いけどさ、それを求めて来られるから仕方なくない?先生も好きじゃない人としたことあるでしょ?」

誠子さんは今大人を試している。だから私も正直に自分の言葉で答えよう。

「先生、潔癖症だから相当好きじゃないとできない。正直、他人に触られるだけでゾッとするし。手の菌がウイルスがとか汚れがとか思っちゃう。それを覆す愛情がないと無理」

何故だかみんなが笑った。

「じゃあ先生、愛があるセックスって気持ちいいの?」

何てことを聞くんだと焦ったけれど、この子と話をする為に正直に答えよう。今は塚田君と言う人は存在しない。

「愛があったら楽しいし幸せな気持ちになれる、けれど愛がなかったら気持ち悪いだけでしょ?」

「愛があったら幸せな気持ちになれるの?」

「そうだよ、だから愛がないセックスはもう止めようよ」

「止めた方がいいかな?」
「絶対に止めた方がいいよ、貰ったお金で物買っても何か虚しいだけでしょ?」
「確かにそうかも」

誠子さんが悲し気な瞳でこう呟いた。
「でも学校に友達もいないし、親は家帰って来ないし、寂しいし、暇つぶしになるんだよね」

彼女の非行の本質的な原因がこの一言に詰まっている。
何かを言おうと口を開こうとしたら誠子さんにこう聞かれた。

「先生は寂しい?」
「……うん、寂しい。でも先生今年で36歳でずっと独身で一人だから寂しいのに慣れちゃった」

そう言って笑うと誠子さんも「そっか」と笑った。

「先生は十八歳で父親が愛人と駆け落ちして、母親が精神を病んじゃって亡くなって、弟二人育てながら何とかここまでやってきたんだ。

家族は弟が二人いるけれど弟には弟の人生があるし、そのうち手を離れるだろうなって思ってて今本当にそうなってる。

十八歳から私って何しても一人で寂しいなってずっと思ってる。

去年、心から愛する人ができて、一人じゃないような気になってたけれど、その人が急にどこかにいっちゃって、気づいたらやっぱり一人だった。

そこで気づいたんだよね、私って何やっても結局は一人なんだよ、寂しいんだよね。

でも開き直ったら一人も悪くないよ。自分の好きなことして好きなように生きていけるし。

だから誠子さんも自分の好きなことして生きていけばいい、嫌なことを我慢してまで寂しさを埋める必要なんかないから」

誠子さんは何だか神妙な面持ちで私の話を聞いていた。

次の瞬間、校長室のドアがいきなり開いた。
中年の男女がドカドカと入ってきて、それを追いかけるように校長、教頭先生も入ってきた。



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