第40話 習字が得意な人

文字数 1,793文字

何故か智がしゃしゃり出て答えた。

「健は俳優の研修生なんだよ」
「あーそれっぽいな」と丸山さんは健をみて呟いた。智は自分のことのように自慢気に語り出した。

「健と俺は同じ老人ホームで働いてたんだけど、木原さんって優しいお婆ちゃんがいて、俺そのお婆ちゃんに気に入られてたんだよ。

それでそのお婆さんに会いに来る息子さんがいて、ある日俺たちその息子さんに食事に誘われて行ってみたら、芸能事務所入んないかって言われてさ、

俺、即答で「入ります」って答えたら、「君はいい、健君のことだ」って言われたんだよね」

智はそうお決まりのネタを言って一人で笑った。

丸山さんはおそるおそる健に聞いた。「木原さんって、もしかして木原プロなの?」「はい、そうッス」

そう健が答えると、智がまたしゃしゃり出て来た。

「木原のおっちゃんもすげーいい人で、ホームに来るたび俺に東京バナナくれるんだよね」

丸山さんが軽く目を閉じ言った。「木原のおっちゃんって、もしかしてそれ代表取締役じゃねぇだろうな?」
「そうッス代表取締役です」
丸山さんが「やっぱり」と複雑な面持ちで呟いた。

智はそんな丸山さんの様子なんかお構いなしに自分の話したかった事を話す。

「木原のおっちゃんすげーいい人で、この間もホーム来た後、グランドホテルでご飯奢ってもらったんだよ。なあ姉ちゃん?」

「うん、おっちゃん明るくていい人だよね。僕は君らの東京のお父さんって言ってくれるし」

丸山さんが飲んだお茶を喉に詰まらせたみたいで咳き込んだ。

思わず「大丈夫ですか?」と聞くと「あのね、木原プロって業界大手の凄い事務所なんだよ、そこの代表取締役の木原一郎さんはものすごいやり手なわけ!」とちょっと怒り気味で吐き捨てた。

この言葉を聞いて私は心底ほっとした。芸能界は事務所の力次第ってネットで見たことがあるからだ。

「そんな凄い事務所だったんだね、健、本当良かったね。木原のおっちゃんもいい人だし」

「でも木原さん、芸事には厳しくて、俺なんかまだまだ外に出すレベルじゃないってたまに来たと思ったら、毎回言われるからな」と言って健は苦笑いした。

「おっちゃん今度来る時は鳩サブレー持ってきてくれるって」

そう智が言うと丸山さんが「だから軽々しくおっちゃんっていうな」と突っ込み私と智は笑った。


けれども健は何故だか笑わずに真剣な眼差しを丸山さんに向けた。

「丸山さん、俺は専門学校卒業したら智だけ追い出して亜紀と結婚するつもりだったんです。

部屋にいる全員が息を呑んだ。健のやつ、一体何を言い出すんだ。

「でも亜紀は「家族と結婚なんてできるわけないでしょ馬鹿!」って

卒業したら二人ともアパート借りさせられて同じタイミングで亜紀が移動でこんな山ん中に引っ越して。

俺はその時にやっぱり無理だったかって潔く諦めました。

でも心配なんです。俺の専門学校の学費まで出してくれて、返そうとしても絶対いらないって言われて」

「健!その話、絶対他人にしちゃいけないっていってるでしょ!」

私の怒鳴り声を掻き消し、健は話を続けた。

「亜紀って勉強はできるけど、凄い馬鹿なんです。優しすぎるんです。だから俺は心配なんです。そのうち誰かに都合よく利用されそうで。
丸山さんは一体どういうつもりでここにいるんですか?」

部屋の緊張感が最高点に達したので、慌てて会話に割って入った。

「丸山さん、ほら新幹線の時間!帰りましょう、駅まで送ります!」

そう言って彼の腕を掴み立たせようとした。

丸山さんは何故だか余裕たっぷりに私に微笑んだ。
「亜紀ちゃん、ちょっと待ってて」

彼は智と健に向かってこう言った。

「俺は君たちのお姉さんのことが好きで、本気で付き合いたいなと思ってここに来てる。これでいい?」

そう言うと丸山さんは爽やかに二人に笑いかけた。

健はまさかこの答えが返ってくると思ってなかったみたいで、呆気にとられて丸山さんを見ている。

私だってそうだ。

智が「兄ちゃんかっけーな」と騒いだので、「丸山さんって呼びなさい!」と叱りつけた。

丸山さんの腕を無理やり持って「丸山さん家帰って頭冷やして下さい、絶対やっぱ無理って思いますから。駅まで送ります、行きましょう」と強引に家を出た。
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