第353話 五月の新緑

文字数 1,531文字

金曜日の午後一時、たかちゃんがスーツを着て緊張した面持ちで校長室のソファに座っていた。

「たかちゃんそんなに緊張しないで」
「昨日眠れなかったの、緊張するって」

校長先生がたかちゃんに話しかけた。
「LGBTの方のお話を直接聞くと子供達の意識も変わると思うんです。特別なことじゃなくてもっと身近に普通のこととして感じてくれるような気がします」

たかちゃんはまた酷く緊張した面持ちになり「はい」とだけ言った。

校長先生とたかちゃんと三人で会場の体育館に行くともう塚田君とさくらちゃんが子供達を並べて座らせてくれていた。

子供達は興味津々にたかちゃんを見ている。

たかちゃんはマイクを手に取ると話し始めた。

「まず始めに、私のことたかちゃんって呼んで下さい」

この一言で小難しい話を聞かされると警戒していた子供達の心を掴んでしまった

子供達はわーっと盛り上がった。そこでたかちゃんが話を始める。

「私はそこにいる山浦先生の友達です。私は柳沢隆樹と言う名前で戸籍上は男ということになっていますが、男でも女でもありません。

それに気付いたのは幼稚園の頃でした。
小さい頃から男の子というくくりで括られることが納得できなくて、自分が女の子でも男の子でもない気がしていました。

女の子みたいな可愛いものも好きだし、でも車も好きだし、初恋は男の子だし、自分ってひょっとしておかしいのかなとその頃から悩み始めました」

今まで聞いたことがなかった、小学校時代に「オカマ」と呼ばれいじめられていた話や、中学時代に引きこもった話、工業高校に行って機械に目覚めた話、初めての就職先でLGBTを公表すると辞めさせられた話や、ご両親との確執、今現在の職場の人たちが凄く理解があって普通に接してくれている話、何だかどれも涙なしでは聞けないものだった。

事実あんなにやんちゃで人の話を聞いていられない子供達が誰一人私語もせずにたかちゃんの話に聞き入っていた。

時折子供達からの質問も受け付けて「恋人はいますか?」と聞かれ「今は二人候補がいて迷っているの」と答えた。勿論今日一番子供達を沸かせた。

あっという間に一時間が終わり、拍手の中たかちゃんは校長先生に連れられ会場を後にした。

たかちゃんの優しさや包容力は人の痛みを知っているからこそなんだろう。

クラスに帰ってから一番のギャルでスカートを履いて登校する男の子を嫌っている女の子が近づいて来て「たかちゃん面白かったよ。男とか女っていう分け方だけじゃ足りないんだね」と言っていたのが何よりも嬉しかった。

放課後、職員室でもたかちゃんの話をしていた。
後ろで聞いていた教頭先生は「ビデオ撮ってあるから5年生にも見せよう」と言っている。


島田先生が私に聞いた。
「山浦先生はどこで噂のたかちゃんと知り合ったんですか?」

その話聞く?
仕方がないから正直に話した。

「結婚相談所、30の時婚活したことが一度あってそこで唯一気があって楽しくて婚約寸前までいった。ようやく結婚相手が決まりそうって周りの人間に話してたら、たかちゃんから突然カミングアウトされて偽装結婚しない?って持ちかけられた」

職員室にいるみんなが笑っていたけれど、「それもまた縁だね」と塚田君は笑わないで優しく言ってくれた。

この優しさにフラッと昔の気持ちに戻りそうになってしまう。それだけは駄目だ、様々な理由から付き合えるわけがない。これこそ底なし沼にハマる。

そうは思っていても日に日に底なし沼から強い力で引っ張られるようになっている。

着信音が鳴り携帯を見ると遠藤さんからメッセージが届いていた。

「今週の火曜日休みなんだけど、夜に映画観に行かない?」

もしかすると遠藤さんは底なし沼にはまろうとしている私を救ってくれる救世主なのかもしれない。

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