第156話 一時間だけ

文字数 1,235文字

「なぁ、今のわかっててやったの?本気でわかってなかったの?どっち?」

彼の真剣な眼差しに目を逸らした。35歳にして途中まで本気でわかってなかったなんて言える訳がない。

私は困った末にこう言った。
「サービス……サービス」
「そっかラッキー!サービスかってセクキャバのスーパーサービスタイムか!」
彼は本職らしくノリツッコミしてきたので私も適当に言葉を重ねた。
「シャチョサン、シャチョサンサービスシトクネ」
「それフィリピンパブだろ!」
「いやだって膝の上乗ってっていうし、乗られるの好きなのかなって思って乗った。ははは」
笑って誤魔化した。

「そう、俺乗られるの好きだよ、っていうかわかってるのか、わかってないのかわからんけど、今エゲツない下ネタ言ってるからね」

そう言うと彼は携帯をみて「あーもう、俺時間だしちょっともう行くわ」と立ち上がった。「じゃあ私も駅まで一緒に行く、ちょっと待ってコート出すから」

そう言ってクローゼットを開けると彼が背後から「じゃあ俺がコート選んでやるよ」と言った。

「選ぶも何も薄いコートは一枚しか持ってないから」
「買ってやろうか」
「だから、ここで新品のコート着てると村人にヒソヒソされるんだって、校長先生なんか毎日同じスーツ着てるように見せかける為に同じの5着買ったんだって」

村の愚痴を溢していると突然彼がクローゼットの上の棚を指差した。
「この鞄ブランド物じゃない?」
私は普段ブランド物なんて好きじゃないし持っていないので不思議そうにしている。

「これは大好きな人から貰った」
わざと彼を揶揄うように言うと彼が怪訝な顔をした。
「男?」「残念ながら女の人、卒業する時に大学時代の恩師の奥さんに貰ったんだ。先生にもお世話になったけど、奥さん大好きなんだよね。生まれ変わるならあの人の妹になりたいってぐらい素敵な人」
そう言いながらコートを着ると二人で玄関を出た。

十一月の終わりは風も大分冷たくなってきた。背後に望む浅間山か雪化粧をしている。

「あーあ本当にお姉ちゃんが欲しかったな」
「そんないいもんでもないぞ、小言が煩いしな」

「そう?じゃあしげちゃんは弟か妹欲しいって思ったことない?」
「ないな、人の世話するの嫌いだし」
「まぁそうだよね」
そう言って二人で顔を見合わせて笑うと、休耕期の田んぼが並ぶアパート横の小道を出て駅につながる大通りに差し掛かった。

「何故だか勝手に俺のこと兄ちゃんって呼んで慕ってくる馬鹿な奴いるしな、そいつと俺のことまだ少し警戒してる俳優見習いのイケメンな奴は弟として認めてやるよ」

結婚している訳ではないけれど私が大切に思っている人を大切にしてくれる。彼のこういう優しい所が好きなんだ。

「しげちゃんは優しいね」と言うと「だろ?」と彼は言った。

「あーそれにしても今日はすごい事して貰ったな」

私の気持ちをぶち壊しにくる彼のいつものスタイルに殺意を覚えた。
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