第351話 五月の新緑

文字数 1,847文字

私達ともう一組がソファに座っているだけで他には誰もいない夜の病院は静まり返っている、

唯一の灯りである夜間緊急受付の看板の下で苦しみながら座っていると、流石の智も私を心配し出した。

「姉ちゃん、大丈夫かな。死なないでくれよ」

泣き出した智を他の患者さんが驚いて見ている。

「止めなさいよ!そこまでじゃないから!」

すると看護師さんが「山浦さーん」と呼んだので、診察室の中に入りフラフラしながらもお医者さんの前の椅子に座った。

お腹が痛くてもう限界だ、やっとお医者さんに診てもらえる。

「亜紀ちゃん」

そう声をかけられ、顔を上げるとそこには遠藤さんが立っていた。懐かしい再会を喜びたかったが絶え間ない痛みが襲ってくる。

「……遠藤さん、イタタ」

遠藤さんはサーっと逃げていった男No.3のお医者さんだ。決してイケメンな訳ではないが、爽やかで優しい人だった。

案の定、ご両親が家まで来て別れてくれと言われ、手切金としてまさかの推計五万円を渡されそうになった人でもある。決してお金が欲しかった訳ではない、でも余りに安くない?

まさかこんな所で再会するなんて
 
「うあっ遠藤さん、お久しぶりです」
智もそれが誰だか気づいたようで、頭を下げる。

「智君も久しぶりだね、亜紀ちゃん、痛みは強いの?」

何とか症状を説明すると遠藤さんはベッドに寝た私のお腹を押さえ、「盲腸かもな、CT撮ろうか」と言い看護師さんが車椅子で検査に連れていってくれた。

いくつかの検査を終え、診察室をカーテンで挟んだ隣のベッドで寝ていると、診察の合間に遠藤さんがやってきた。

「盲腸だね、点滴打つから少し楽になるよ、今日明日と入院して、落ち着けば月曜に退院して火曜から仕事行ってもいいから」

智が心配そうにこう言った。
「盲腸って手術はしないんですか?」
「これくらいだったら抗生剤の点滴で大丈夫だよ」
そう告げられると智が「ありがとうございます」と珍しくまともに頭を下げた。

とにかく智は「明日着替え持って来い」と帰らせて一人で寝ていた。隣で遠藤さんもとより遠藤先生が診察をしている声が聞こえる。

痛みが段々引いてきたこともあり、その声をカーテン越しに聞いていた。

遠藤さんの仕事をしている風景を見た事がなかったから凄く新鮮だし、優しい口調や、キビキビした指示の出し方に一人でかっこいいと盛り上がっていた。

やっぱり仕事している男性はカッコいい。

あー遠藤さんが独身だったらいいのになと身勝手なことを考えていたら、診察時間が終わったらしく患者さんの声が聞こえなくなった。

暫くするとカーテンを開けて遠藤さんが入ってきてベッドの横の丸椅子に座った。

世間話をしていると「結婚してないの?」と痛いところを聞かれたので「相手がなかなか見つからなくて」と正直に答えた。

遠藤さんは一度あの強烈なご両親が勧めるお見合いで結婚したけれど、奥さんに浮気され去年離婚したそうだ。その際に娘さんが自分の娘さんでなかった事が判明したらしい、

衝撃的な話過ぎて何と言っていいかわからない、遠藤さんは少し悲しそうにこう言った。

「親の言う通りの相手と結婚したらこれだよ、妹の旦那さんも医者で孫も産まれて親は今そっちの方にかかりっきりだし、虚しくなってさ。病院もここに移った。

俺は何の為にあの時亜紀ちゃんと付き合うのを諦めたのかな」

私まで当時を思い出し切なくなってしまった。

ふと健が頭を過ぎる、確か健の馬鹿が「俺は亜紀と夜な夜な」ととんでもないホラを吹いていたはず。

「あの遠藤先生。高校生の健が変なこと言ってませんでした?」

遠藤さんは吹き出した。
「言ってたよ、亜紀ちゃんとられるのが嫌なんだなって微笑ましく見てたけど」

遠藤さんは健のほら話を信じてはいなかったらしい。大人の男の余裕を感じてかっこいい。

でも結局はご両親を選んでサーっと逃げてったけれど。

「今は仕事が恋人だよ」と昔と何にも変わらない穏やかな笑顔を見せてくれた。

急患が来るらしく看護師さんに呼ばれて行ってしまった。急患が来ると聞いた遠藤さんは表情がガラッと変わりやっぱりカッコよかった。

私は違う看護師さんによって病棟に運ばれて入院だ。大部屋が空いてないので個室になってしまったので何だか人恋しい。

これから、あの人でも塚田君でもない人を探さなければならない。

「私のモテ期ブーストがまだ続いてて、遠藤さんと付き合えますように」と目を閉じながら願った。

月曜は仕事を休まなくてはならないから、明日朝になったら仕事関係の人に連絡しよう。

そう思いながら夢の世界へと入った。
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