第111話 勿忘草

文字数 2,729文字

上越新幹線の高原温泉駅から車で二十分山を登った所に小さな村があり、そこに実家はあった。人口減少に歯止めがかからず、今は隣の市に合併されて、私が通った小学校も廃校になっている。

うちの実家だった場所から車で三分ほど行くと父の一番上の兄の家があり、うちの本家に当たると小さい頃から聞かされていた。

田舎特有の本家の方が立場が上だという思考に毒されていた私は偉そうな態度の従兄弟達に辟易としながらも、当時は付き合いを続けていた。

今は住所すら知らないけれど。

時が流れ、父の兄も父も亡くなり、父の兄の子達は東京に就職して戻って来なくなった。

本家に住んでいるのは父の時に連絡をくれた高山のおばさんと呼んでいるおばあちゃんが一人だけだ。

何で高山かというと、このおばちゃんは高山市出身なので、小さい頃からそう呼ばれている。

この辺り一帯は歴史と伝統を大切にしていたが、そのせいか男尊女卑が激しい地区であり、おばさんも母も相当苦労していた。

嫁いびりも当然としてセクハラもあるし、よそ者いじめもあるし。

子供の社会もこれまた大変で村の中の目に見えないカーストが子供達にも適用されるのだ。

カーストが上の子が悪くても、その圧力で何度理不尽に謝らされたことか。

当然のようにお嫁に来た人達は一人逃げ、二人逃げ、子供達は都会に行って帰ってこない。村があった地区には高齢者と中年の男性しか残っていないと噂で聞いた、

けれどもおばさんは旦那さんが亡くなっても、子供から都会に住まないか誘われても、この本家と私達が呼んでいる家に住み続けている。

よく手入れされた大きな仏壇のある和室で私達とおばさんは話をしていた。最近張り替えたばかりだという真新しい畳の匂いが懐かしい気分にさせてくれる。

「亜紀ちゃん本当に苦労したもんね、夜中働いてて一回倒れたことあったから」

正直この話はもち出されたくなかった。

「若かったし馬鹿だったから、ちゃんと寝なきゃ不健康になるって基本的なことがわかんなかったんだよ。でもおばさんあの時の話はこれ以上言わないでもう忘れて」

もういい加減に過去の苦労したエピソードは終わりにしたい、自分でも飽きた。

何故だかおばちゃんの家までついてきているしげちゃんを見ると涼しい顔でお茶を飲んでいた。

「おばちゃんは咲也君の所行かないの?」
「もう今更他の所に住むのも疲れるわ」と言っておばちゃんはいつものように朗らかに笑った。

「おばちゃん、本当に申し訳ないんだけどお父さんのことよろしくお願いします」
私は深々と頭を下げた。

「いいのそれくらい、この家に嫁いで来た時からそれが私の役目だと思ってるから。お父さんによく生きてるうちに会ってくれたね、ありがとう」

おばさんが深々と頭を下げると智が涙ながらに訴えた。

「父さんと最後に会って良かったと思う、でも俺やっぱり許せねぇんだ」

「大丈夫、お父さんも智くんが会ってくれただけで満足してるよ。後は任せて」とおばちゃんは菩薩の様な表情を見せた。

「おばちゃんありがとう」と智は号泣し、しげちゃんに「兄ちゃん」と抱きついた。彼は嫌そうな顔をしながらも決して智を突き放すことなく「すぐ泣くな」と呟いた。



最初は高原温泉駅でちょっと会うのかなと思っていたけれど、よくよく話してみるとどうやらおばちゃんの家も来るつもりでいるので驚いた。

よく結婚もしてないのに親族の家に来れるなという気持ちが私にはあるが、彼は一向にそういうのを気にしない。

テレビでも堂々と彼女がいると公言していてちょっとびっくりする。ついこの間まで「女の人と一生分かり合えない」と言っていたはずなのに。

 この間は他の芸人さんに「彼女何している人?」と聞かれ「彼女は群馬か長野かよくわからない所に住んでいる小学校の先生」と言っていたので流石に個人情報を流しすぎだとクレームを入れた。

私だって人のことは言えないけれど、やっぱりちょっと変な人だ。変だからこそ私と付き合おうと思ったんだろうけど。

今の彼に対する気持ちを一言で例えるなら「欧米か」だ。

おばちゃんが湯呑みでお茶を一口飲むとまた懐かしそうに昔話を始めた。

「あきちゃんも本当に大変だったもんね、よくあの強烈な親戚沢山集まった席で大学に行く、健も智も施設に入れない、養子にも出さない、お母さんの面倒も見る、私が働いてなんとかするって言い切ったよ」

「あの人達の前でそんな事言ったんだ。姉ちゃん、優しそうに見えてかなりキツイからな」と智が笑った。

「優しいけれどかなり気が強いからな」としげちゃんがわざと聞こえる声で智に耳打ちした。

いつどこでそんなにキツく当たったとむかつきながら、二人をキッと睨むとまたおばちゃんの方を見て頭を下げた。


「あの時は本当お世話になりました、若かったから、絶対に自分の大切な物一個も捨てたくなかったんだよね」と言うと智がまた彼に抱きついて「姉ちゃん」と泣き出した。

「コロコロ変わりすぎだ」と彼はうんざりしたように呟いた。

「そうそう高崎のおじさんと東京のおばさんから香典届いたから」

おばちゃんは仏壇に置いてあった香典袋を二つ私に差し出した。
お父さんは三人兄弟で一番目のお兄さんはおばちゃんの旦那さんでもう亡くなられている。

高崎のおじさんとは二番目のお兄さんだ。
ここで私はふとあることに気がついた。

「東京のおばさんって?」
「お父さんの妹だよ」

私より先に智が叫んだ。

「えっ、父ちゃん妹いたの?」
「知らなかったん?ほらおじいちゃんのお妾さんのお子さん」

お妾さんという単語に私は取り乱してしまった。
「……じいちゃん、愛人いたの?あーもうウチの家系みんな滅茶苦茶」

おばちゃんが慌ててフォローに入る。
「ほら爺ちゃんは財産あったし、お妾さんの旦那さん戦死されて生活に困ってたから、お爺ちゃんがお妾さんにしてあげたんよ。婆ちゃんもいいことなすったって喜んでたし」

それでもまだ取り乱してる私にしげちゃんがこう言った。

「落ち着け、昔の女の人は働けなかったから、どっちにも利点がある合理的な制度だよ、戦後の混乱を生きていくためだから」

彼の一言が腑に落ちた。

現代の愛欲にまみれた愛人のイメージじゃなくてこれは戦後の混乱を生きていくための合理的な制度なのだ。


まだ一人混乱している智に「じいちゃんが豊臣秀吉でばあちゃんが寧々殿、お妾さんが茶々」と言うと大河ドラマ好きの智は「あー、俺らの父ちゃんみたいな嫌な愛人じゃないんだ」と納得した。




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