第110話 勿忘草

文字数 1,593文字

無邪気に欲しい物がないか聞いてくる彼に理不尽に腹が立った。

「自分の給料をただでさえ持て余してるのに、無いものはない」
そう言うと電話越しに彼はまた笑った。

「そんなに貰ってんの?」
「そこまで貰ってないから、同い年の先生が子供二人と奥さん一人を節約して養っていけるギリギリの金額って表現してた」

「じゃあ他の人が家族に使ってる分何に使ってるの?」

一番嫌な所をついてくる、何にも使うところなくて困ってんだよ!と逆ギレしそうになるのを必死に止めていたら、口が勝手にこんなことを早口で捲し立てた。

「……ここにいる限りお洒落はできないし、たかちゃん以外の友達はみんな子育てしてて遊べないし、酒もタバコもギャンブルもやらないし、村の人達は死ぬほど米とか野菜とか卵くれるし、コンビニは卒業生働いてるし、ポイント貯めようと思って全部カード払いにしてるんだけど、先月のカード払いの明細見て12300円とかでこんなに使ってないのって自分にドン引きしたから」

「安上がりな女だな」と彼はヒッヒッヒっと笑っていて腹が立った。安上がりってイメージ悪すぎるでしょう。

「でも今月は東京二回も行ったし、美容院も行ったし、ライブグッズ沢山買ってお布施したし、靴も買ったし、健に洋服買ってあげたからもしかしたらカード払いで十万行くかも」

電話越しでも彼が吹き出し得意気になったのがわかった。
「十万なんて後輩何人かとちょっといい店行って一回で奢る金額じゃねぇかよ、もっと何か使ってよ」

「何なのそのお金持ちアピール、腹立つ。じゃあお金沢山使うように歌舞伎町行ってホストに嵌って貢ぐようになってやる」

悔し紛れの私のこの発言に彼は待ったをかけた。
「わかった、わかった。じゃあ俺がまた抱きしめて寝てやるから。そんな所行くな」

「何なのその抱きしめられて寝るのが最高の幸せって私が公言してるような言い方」

そう言い返すと彼は更に得意気に「あんなに幸せそうな寝顔俺に見せといて、今更何言ってんだよ」と笑った。

「……最悪だ、どんなマヌケな顔してたんだろ」
そう言うと「マヌケ過ぎてマヌケを通り越して可愛い顔だよ」と彼は爆笑した。

一緒に寝たいと思ったあの時の自分をぶん殴りたい。

「だからさ、抱きしめて寝られるようにせめて土日一日でいいから休みにしてって頼んだら、マネージャーが笑顔で一月の中旬なら正月休みとして二日休みとっておきましたっていうんだぞ」

「凄い先だね」

一月はいくらなんでも遠すぎる。たかちゃんが休みが合わない人と付き合うのは大変だから別れたって言ってたのはこういうことなんだ。
別れようとは思わないけれど。

「先すぎるだろ?俺どうにかして亜紀ちゃんに会うこと考えてるから心配しないで。亜紀ちゃん明日は何してるの?」

「明日は実家のあった場所の隣に本家があってそこにお父さんの遺骨を智と預けに行くんだよね」

「もう納骨するの?」
「うん、智がやっぱり父さんのこと許せないって言ってて、それで本家のおばさんに全部任せることにしたんだよね」
「まぁ仕方ないよな」

「智なんか8歳だったから、お父さんは母さんを裏切って私に苦労させた奴っていう記憶しかないだろうし、だからおばさんの好意に甘えて全てお任せすることにした」

「実家って新潟新幹線の高原温泉駅の近くだろ?抱きしめて寝てやる時間はないけれど、明日の昼間に高原温泉駅でちょっとだけ会おうか」

「うん、嬉しい。新潟で仕事なの?」
「明日は午前中動画の撮影で次は新潟ロケで夜釣りなんだよ、俺が釣れた魚が気持ち悪くて触れないのがそんなにおもしろいんか」
「ぎゃーぎゃー騒いでるから面白いかも」

「だって魚って気持ち悪いだろ?どんな寄生虫ついてるかわかんねぇし」と彼が言ったので「本当に怖がってたんだ」と笑った。
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