第89話 人間って難しいな
文字数 1,973文字
四人で父さんの静かに眠る顔を見ていると、病室に一人の五十代位の優しそうな雰囲気の男性が入ってきた。
「もしかして山浦さんのお子さん達ですか?安らぎの木の代表の橋本です。このたびはご愁傷様です」
私は慌てて頭を下げた。父さんが生前お世話になっていた団体の方だ。
「父さんが生前お世話になってたみたいで、本当に有難うございました」
智も健も私と一緒に橋本さんに頭を下げた。
重い空気の中、智が口を開いた。
「あのっ橋本さん、聞いてもいいですか?父ちゃんはいつ東京来たんですか?」
橋本さんは小さく首を振った。
「山浦さんは詳しいことは話したがらなかったから僕もあんまり知らないんだけど、好きな女の人がいて離婚したことで会社に居づらくなって辞めて東京に来たらしい。それも一年経たずに女の人出ていったみたいで。それからずっと転職転職で七年程前からうちの施設に居たことしかわからないな」
質問しておきながら何にも言えなくなってる智に代わって私がお礼を言った。
「そうですか、有難うございます。あのもう一つお聞きしたい事があるんですが、父さんが最後に郁子さんに手紙を渡して欲しいと言っていたんですが、何かご存知ですか?」
「……前に見舞いに来た時に届けて欲しいと本人から預かってますので、郁子さんと言う方をできるだけ探してみたいとは思います。中身読まれますか?」
「私達が読まない方がいい内容ですよね?」
「そうですね」と橋本さんは気まずそうに相槌を打った。
「じゃあ全てお任せします。よろしくお願いします」と再び頭を下げた。
「本当に父ちゃんってろくでもない奴だったな」と智が大声で独り言を言って健に「おい、今日はやめとけ」と怒られていた。
そんな私達の様子を見て橋本さんが父さんのフォローを始めた。
「山浦さん、うちの子達は優秀なんですって、しょっちゅう自慢してましたよ。病気を治して、仕事もちゃんとしたら逢いにいくっていつも言ってました。確か数年前に癌になった時に自宅に電話かけてみたら、もう繋がらなかったって肩を落としてました。だから最後にお子さんに会えて良かったと思います。天国で喜んでると思いますよ」
私達は何にも言えなかった。
数年前にもし父さんと連絡が取れていたらどうしていただろう。こんな風に父の最後を看取る事ができただろうか。
「あとお子さん達に渡して欲しいと頼まれてたものがあるんです」
橋本さんから笑顔で手渡されたのはボロボロの家族写真だった。健と智が小学校に入学した時に校門の桜の木の下で撮った写真だ。
智は人目も憚らず大声で泣いた。私も涙が堪えきれなかった。健は泣かないように天を仰いでいた。
父さんはダメな人間だったけれど、父さんなりに家族を思う気持ちはあったようだ。
橋本さんと父さんの今後について相談した。明日施設が運営してるホールで簡単な葬儀をして火葬し、父さんが帰りたがっていた私達の実家のあった村に帰らせてあげようということでまとまった。
高山のおばさんに電話すると一族のお墓に入れてもいいよと快く許可をくれた。「私が墓守してるから法事とか何も気にせんでいいよ」とまで言ってくれた。
全てが決まりほっとしたから、夕暮れ時に四人で近くの国道沿いのファミレスに行った。
智が大声で呟いた。
「父ちゃんは幸せだったのかな?」
誰も何も言えずに黙り込んだ。重苦しい時間に耐えきれなくなり私が答えを絞り出した。
「死に際に手紙渡して欲しいって思い出すぐらい好きな人と、少しは一緒にいられて幸せだったんじゃない」
そう適当なことを言うと智は「そっか」と納得した。
「捨てたはずの私達にも会えたし、私達よく最後看取ったよ」
そう付け足すと健も「そうだな」と相槌をうった。
空気の読めない智はさらなる難題を私達に問いかけてくる。
「じゃあ母ちゃんは幸せだったのかな?」
誰も何も言えなくなった。私が一番年上だから、何か言わなくてはならない。
「病むぐらい好きな人と結婚できて幸せだったんじゃない?」
そう適当なことを言うと智は無邪気に「そっか」と喜んだ。
幸せか幸せじゃなかったかなんて他人がとやかくいうものではないのだろう。父さんと母さんは自分の人生をどう評価するのだろうか。
「そう言えば朝から何にも食ってねぇな」と智がいつもの馬鹿でかい声で言ったので健が「声でかい」と顔を顰めみんなで笑った。
「美子ちゃんつわりは大丈夫?」と聞くと「最近ようやく収まってきて麺類なら食べられるかな」と微笑んでくれたので「良かった」と私も嬉しくなった。
「とにかく食べよう、私が出してあげるから好きなだけ食べて」そう言うとまだ智と健は「やったぜ」と両手をあげて喜んだ。
「もしかして山浦さんのお子さん達ですか?安らぎの木の代表の橋本です。このたびはご愁傷様です」
私は慌てて頭を下げた。父さんが生前お世話になっていた団体の方だ。
「父さんが生前お世話になってたみたいで、本当に有難うございました」
智も健も私と一緒に橋本さんに頭を下げた。
重い空気の中、智が口を開いた。
「あのっ橋本さん、聞いてもいいですか?父ちゃんはいつ東京来たんですか?」
橋本さんは小さく首を振った。
「山浦さんは詳しいことは話したがらなかったから僕もあんまり知らないんだけど、好きな女の人がいて離婚したことで会社に居づらくなって辞めて東京に来たらしい。それも一年経たずに女の人出ていったみたいで。それからずっと転職転職で七年程前からうちの施設に居たことしかわからないな」
質問しておきながら何にも言えなくなってる智に代わって私がお礼を言った。
「そうですか、有難うございます。あのもう一つお聞きしたい事があるんですが、父さんが最後に郁子さんに手紙を渡して欲しいと言っていたんですが、何かご存知ですか?」
「……前に見舞いに来た時に届けて欲しいと本人から預かってますので、郁子さんと言う方をできるだけ探してみたいとは思います。中身読まれますか?」
「私達が読まない方がいい内容ですよね?」
「そうですね」と橋本さんは気まずそうに相槌を打った。
「じゃあ全てお任せします。よろしくお願いします」と再び頭を下げた。
「本当に父ちゃんってろくでもない奴だったな」と智が大声で独り言を言って健に「おい、今日はやめとけ」と怒られていた。
そんな私達の様子を見て橋本さんが父さんのフォローを始めた。
「山浦さん、うちの子達は優秀なんですって、しょっちゅう自慢してましたよ。病気を治して、仕事もちゃんとしたら逢いにいくっていつも言ってました。確か数年前に癌になった時に自宅に電話かけてみたら、もう繋がらなかったって肩を落としてました。だから最後にお子さんに会えて良かったと思います。天国で喜んでると思いますよ」
私達は何にも言えなかった。
数年前にもし父さんと連絡が取れていたらどうしていただろう。こんな風に父の最後を看取る事ができただろうか。
「あとお子さん達に渡して欲しいと頼まれてたものがあるんです」
橋本さんから笑顔で手渡されたのはボロボロの家族写真だった。健と智が小学校に入学した時に校門の桜の木の下で撮った写真だ。
智は人目も憚らず大声で泣いた。私も涙が堪えきれなかった。健は泣かないように天を仰いでいた。
父さんはダメな人間だったけれど、父さんなりに家族を思う気持ちはあったようだ。
橋本さんと父さんの今後について相談した。明日施設が運営してるホールで簡単な葬儀をして火葬し、父さんが帰りたがっていた私達の実家のあった村に帰らせてあげようということでまとまった。
高山のおばさんに電話すると一族のお墓に入れてもいいよと快く許可をくれた。「私が墓守してるから法事とか何も気にせんでいいよ」とまで言ってくれた。
全てが決まりほっとしたから、夕暮れ時に四人で近くの国道沿いのファミレスに行った。
智が大声で呟いた。
「父ちゃんは幸せだったのかな?」
誰も何も言えずに黙り込んだ。重苦しい時間に耐えきれなくなり私が答えを絞り出した。
「死に際に手紙渡して欲しいって思い出すぐらい好きな人と、少しは一緒にいられて幸せだったんじゃない」
そう適当なことを言うと智は「そっか」と納得した。
「捨てたはずの私達にも会えたし、私達よく最後看取ったよ」
そう付け足すと健も「そうだな」と相槌をうった。
空気の読めない智はさらなる難題を私達に問いかけてくる。
「じゃあ母ちゃんは幸せだったのかな?」
誰も何も言えなくなった。私が一番年上だから、何か言わなくてはならない。
「病むぐらい好きな人と結婚できて幸せだったんじゃない?」
そう適当なことを言うと智は無邪気に「そっか」と喜んだ。
幸せか幸せじゃなかったかなんて他人がとやかくいうものではないのだろう。父さんと母さんは自分の人生をどう評価するのだろうか。
「そう言えば朝から何にも食ってねぇな」と智がいつもの馬鹿でかい声で言ったので健が「声でかい」と顔を顰めみんなで笑った。
「美子ちゃんつわりは大丈夫?」と聞くと「最近ようやく収まってきて麺類なら食べられるかな」と微笑んでくれたので「良かった」と私も嬉しくなった。
「とにかく食べよう、私が出してあげるから好きなだけ食べて」そう言うとまだ智と健は「やったぜ」と両手をあげて喜んだ。