第334話 四月の風

文字数 1,196文字

高崎に向かうべく佐久平インターから高速道路に乗ると智が「姉ちゃんこういう時のホワイトアンドブラックの四月の嵐だよ」と勝手に曲を流し始めた。

「あー確かにぴったり。何があっても私にはホワイトアンドブラックがいるから」
そう呟くと「姉ちゃん相変わらず気持ち悪いな」と智が爆笑した。

そのうちに智が全力で歌い出したので「レイ君の声で聞かせて、ね?」と優しく言うと「わかったよ」と言った。

もう一度最初から再生すると智は我慢ができなくなりまた全力で歌い出した。

「誰があんたの歌声聞きたいの!レイ君の歌声聞かせてよ」

「わかったよ姉ちゃん」
もう一回最初から再生しよう。

「だから、あんたの歌声なんか誰が喜ぶの!」

これを繰り返していくうちに結局二人で全力で合唱しながら高崎まで来た。

新しい部屋は前までの築40年の歴史ある教員住宅アパートではなく、学校が紹介してくれた築十五年の割と綺麗なマンションの2階だった。

高崎駅にも近いし、智の家も近い。おまけに徒歩数分でスーパーも百均もある。


しかも驚くことに間取りは2kで2部屋あるのだ。一部屋寝室にして、もう一部屋をリビングっぽくすることも可能だ。

お風呂も全自動給湯器がついている。トイレもウォッシュレットがついている、凄すぎる、人生で一番いい部屋に住むかもしれない。

「今までと大違いだな」と智が叫んだ。

引っ越しの手伝いに来てくれたやっさんが「亜紀さん、新しい学校に若い先生いたら紹介して下さい」といつも通り女の話を始めた。

そのうちに引っ越し屋さんがやってきて、手際良く荷物が運びこまれていく。

ふと若い頃のあの人も引っ越し屋のバイトをしていたということを思い出していた。

あの人は私の新しい住所も連絡先も知らない、だから何があっても会う事はないのに、しょっ中思い出しては胸を痛めている。いつ忘れることができるのだろう。

「姉ちゃん、本当にテレビあげていいの?」
「うん、去年買い替えたばっかりだし、そんな簡単には壊れないでしょ」

テレビを家に置くのは止めた。あの人を本当に忘れた日にテレビをまた買おう。このテレビは智の職場の後輩が貰ってくれるらしい。

引っ越し屋が帰り、大きな物の片付けが終わったので智とやっさんに焼肉を食べさせて新しい部屋に一人帰ってきた。

細々としたものの整理をしていると、部屋に置いてあった彼の物をまとめたものが出てきた。

早く彼の部屋宛に全て送ってしまえばいいのだが、そうしたら本当に何もかもが失くなってしまいそうでできなかったのだ。

髭剃りとかパジャマとか別になくても困るものはない。もう少しだけ持っていよう、暫くしたら未練と一緒に送ろう。

鉢植えに土を入れ去年とっておいた勿忘草の種を蒔いた。少し時期が遅れたけれど、今年もまた綺麗な花を咲かせてほしい。

空気の入れ替えの為に窓を開けるとまだ三月の終わりだけれど、四月の夜風が部屋に入ってカーテンを優しく揺らしていた。



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