第79話 武道館の後で

文字数 1,027文字

部屋の片隅で渋々智からの電話をとった。

「もしもし、智?」
「姉ちゃんまだ東京にいる?実は大変なんだ。助けてくれよ」

電話口の智は何故だか酷く慌てていた。
「まだ東京にいるけれど、そんなに慌ててどうしたの?」

「実は高山のおばちゃんから電話かかってきて、東京の役所から父ちゃんが入院してて、もう先長くないかもしれないから親族の方が面会に来て欲しいって言われたんだって」

智の言葉に絶句した。
十七年ぶりに父の消息がわかった、けれどこれはいいニュースなのか悪いニュースなのか判別がつかず混乱している。

父は私が高校三年生の二月、女と家を出て行った、それ以来会ってないし、連絡も一切なかった。

私が父親に最低限の生活費を貰おうと、会社に電話して、伝言を伝えて貰うと何故だか女が家まで尋ねてきて酷く罵られた。

「姉ちゃんは父さんの名前聞くのも苦しいだろうから、とにかく俺一人で黙って会ってこいって美子に言われたんだよ」

美子ちゃんは智の奥さんで、今妊娠中だ、つわりで体調を崩して仕事以外は寝ている。そんな人に余計な気を使わせてしまった。


「だから俺一人で東京来たんだけど、やっは無理なんだよ、怖くて会えないんだよ。だから健に電話したんだけど留守電で」

「馬鹿!何で健に電話すんのよ、明日の夕方、大事なオーディションあるって言ってたでしょ!今日は何があっても絶対言わないで、わかった?」

「わかった、そうする」
「……東京、何で父さん東京になんかいるの?」

「わからない、詳しい話は教えてくれなかったから。なぁ姉ちゃん俺どうしたらいい?」

「どうしたらいいって、あんな人のいる病院なんかいく必要ないから、そのまま帰りなさい。あの人のせいでみんなどんだけ苦しめられたと思うの」

そう感情的になってしまったが、丸山さんがいることを思い出し慌てて声を抑えた。

「姉ちゃん、俺どうしていいかわからない。もう足も動かないよ」

「じゃあ今からそっち行くから、どこにいるの?」「東京駅」「東京駅って広いでしょ?東京駅のどこ?」「えっとハチジュウシュウ口」
「わかった八重洲口ね、今から行くから」

電話を切って、大きな溜息をつくと丸山さんが心配そうな表情をしてこちらをみていることに気づいた。

「ごめん、聞くつもりじゃないんだけど、智の声がデカすぎて全部聞こえた。とにかく東京駅まで送るよ」


彼にこんな我が家の恥、聞かれたく無かった。
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