第74話 武道館の後で

文字数 2,033文字

オートロックを解除してやけに明るくて綺麗なエントランスに入った。

エレベーターの前で彼は再びオートロックを解除し上行きのボタンを押した。

「亜紀ちゃんを揶揄って遊んでたら、話すの忘れてたよ」
「何の話ですか?」

「俺が何で二十階に住んでるかって話しだよ。こんな風にエレベーター待つ時間無駄だから、一階でいいんだけどな」

「何で高層階に住んでるんですか?」

「十五年位前に吉祥寺のボロアパートに住んでたんだ。ちょうど数年前からお笑いブームがやってきて、テレビに着々とでられるようになった時期だったんだよね。

でも引っ越すの面倒だし、まだそのアパートに住んでたんだ。ある日家に帰ったら知らない女の人が俺の洗濯物畳んでたんだよ。しかも、洋一お帰りなさいって全然関係ない名前で呼ぶんだ。

勿論すぐに110番して連れて帰って貰えたんだけど」

「こわっ、納得しました。確かにしっかりした所住まないと職業上そういう目に遭っちゃいますもんね」
背筋がゾクっとした。ちょうどエレベーターが着いたので彼の後に続いて乗り込んだ。

「それ一回だけじゃないの、二週間後にまた起こったの、今度は鍵開けたら家に金髪で全裸の五十歳ぐらいのおばさんがいて、ご飯作ってるの、ビーフシチュー。

その人は重明さんって俺の名前ちゃんと呼んでたわ。勿論もう直ぐに警察だよ」

エレベーターが20階に着き、扉が開いた。

丸山さんが降りたので一緒に降りた。

「そっからすぐに高層階でオートロックって探してここに引っ越した」

「生身の人間のこう言う話って下手なホラー映画よりよっぽど怖いですね」

正直私もゾッとした、丸山さんも色々大変なんだ。そうこうしているうちに、丸山さんは一つの部屋の前でドアの鍵をあけ、「入って」といった。


部屋の中は何かこう思っていたのとは違った。普通の小ざっぱりとした部屋だった。十二畳くらいのリビングキッチンでテレビとソファとテーブル以外何にも物がない。キッチンにも冷蔵庫があるだけで物が一つも出ていない。

他にも部屋がありそうだから、寝室は別にあるんだろうな。

「おまいうって言われそうですけど、物が一つもないですね」
「それ本当におまいうだよ」と彼は笑った。

「私、エントランスから妄想して片面ガラス張りでウイスキーの棚があるのかと思ってました」そう言うと「俺は日活俳優じゃねぇよ」と彼は笑った。

「座ってて、今なんか飲み物取ってくるから」と言い彼はキッチンで冷蔵庫を開けた。

「あのっ、丸山さんシャワー貸してもらってもいいですか?」丸山さんは戸惑った表情で「う、うん」と頷いた。

「廊下をでて突き当たりの右のドアを開けて」

人の家のシャワー借りるんだから、シャワーに5分着替え1分ドライヤーに5分計十一分でてこようと頑張った。

目標の1分前にでてくる事に成功した。リビングへ行くと「ありがとうございました」と言うと丸山さんは少し不機嫌そうに「うん」と言った。

男の人にとって11分は長かったかと反省していると、丸山さんは話し始めた。

「アキちゃん、色々ゆる過ぎない?」
「えっ、何が?」
「いやさ、普通一回しか会ったことない男家に入れる?」

多分、丸山さんと初めて二人で会った時の話をしているのだろう。

「いや、だっていい人そうだし」
「だから、俺が悪い奴でアキちゃんにいたずらしてやろうとか思ってたらどうすんの?」

「いやだって丸山さん悪い人じゃないでしょ、それ位判別できてます」

私が得意気にそう言うと彼は黙った。

「じゃあそれは置いておいて、今日だって俺がシャワー貸してやるって言ったらノコノコ男の部屋までついてきてさ」

「ノコノコって言うけど付き合ってるんじゃないんですか?」

「うん、付き合ってるよって違うんだよ!普通異性の部屋に二人でいるとかシャワーってsexする前じゃん、男は期待して色々してやろうって思うわけ。その下心が全然わかってないって言ってんの」

丸山さんの言葉に衝撃を受けた。そして何故かわからないけれどこの切り返しをしてしまった。

「じゃあ丸山さんも今そう思ってるんですか?」

聞いてどうする?と自分で突っ込んだけれど、後の祭り。

「いやいや滅茶苦茶思ってるけど、今日はしない」
「思ってるんだ!っていうか今日はって正直に答えすぎでしょ?」

何だかチグハグして変な会話になってしまった。

丸山さんもかなり困惑しているように見えたけれど、また喋り出した。

「…だから結論を言うと、男に対する距離の取り方がおかしいって、もっとちゃんと距離あけて」

凄く落ち込んだ。私は三十五年間生きてきてそれなりに常識を身につけてきたと思っていたけれど、どうやら違うらしい。

「何ショック受けてんの?ねぇあきちゃん」「三十五年、生きてきて今更人との距離感がおかしいって怒られて恥ずかしいです」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み