第44話 習字が得意な人

文字数 1,700文字

丸山さんを見送ってから、アパートまでの道のりをあの二人が帰ってますようにと祈りながら歩いた。

玄関のドアをおそるおそる開けると、案の定まだあの二人のスニーカーがある。

大きく息を吐くと「ただいま」と部屋に入る。智は私のゲーム機を勝手に操作してアリオメーカーをやっていて、健はちょっと苛ついたようにテレビを見ていた。

智が私を見るなり「姉ちゃん一体どういうことだよ!丸ちゃんが本当の兄ちゃんになるの?こんな嬉しいことないな」とアパート中に響き渡る馬鹿でかい声で叫んだ。

「話飛びすぎでしょ!」私がそう叫ぶと不機嫌そうな健がこう言った。

「頼むから、普通の男にしてくれよ。それで普通に結婚して普通に幸せな家庭を持って、それが俺の希望」

「私だってそれが第一希望なんだけど」
そう言って口籠った。弟達を自立させた今、普通に結婚して普通の家庭を持ちたい。洋服よりもアクセサリーよりも何より一番普通の家庭が欲しい。健はそんな私のことをよく分かっているのだ。

健が悲しそうな顔でテレビを見ながら呟いた。

「何で国会議員の息子から始まり、大きい寺の息子とか、大病院の息子とか普通じゃない人引っ掛けてくんの?三年前は村長の息子だっけ?そして今度は丸山さん」

「でもその人達はみんな付き合う前に逃げられてるから」

自虐的に笑うと、智がまた馬鹿でかい声で叫んだ。

「村長の息子って誰?いつの間にそんな奴いたの?俺知らなかった!」

「あーもう煩いな、知りたかったら許されない恋って話読んでこい」

急に智はトーンダウンした。
「いいや、字読むの嫌いだし」

健はテレビを見るのをやめて私を見た。

「丸山さん俺のこと知って何て言ってた?」

「あー悪いことしてないんだから、そんなに気にする必要ないんじゃない?って。後家のことで話したくない事が二、三個あるって言ったら、話してくれるまで待つよって」

「兄ちゃんかっけぇな!」
智がまた大声で叫んだ。

「ねぇ、今までの人と違うよね。私の七つ上なだけあって器大きいよね」と智に相槌をうった。

健は呆れながら、私たちを見た。

「丸山さんってさ、この業界であの人の女癖の悪さ知らない人いないくらい遊び人なんだよ。昔の事務所の研修生にって話三つぐらい聞いたことあるから」

「…本人も今日言ってた、昔ろくでもないことしてたって」

「丸山さんって凄くマメに連絡してくんでしょ?」
「何で知ってるの?」

「それで一緒にいて優しいし楽しいんでしょ?」
「うん」

「ある日突然連絡取れなくなるんだよ。あの人の常套手段なんだって。会いに行くと最初に真剣に付き合えないし、すぐ連絡取れなくなるって言ってあったでしょ?って言うんだって。事務所の社員さんから聞いたことある」

「あっ、それも言ってた。でも私は真剣に付き合えないとは言われてないかな、はははっ」

乾いた笑いが出て来る。必死に丸山さんを正当化しようとする自分が虚しく思えたからだ。

「亜紀、女癖の悪い男って病気なんだよ、そう簡単に治らないわけ!反省したふりしてても絶対に今も複数人女いるって」

十歳も歳が下の健の言葉が胸に突き刺さる。

「亜紀みたいな田舎の女が周りにはいないだろうから、物珍しくて言い寄ってきてるだけだと思うよ。これがいざ関係持ったら数回でポイだよ」

健は私が一番恐れていたことを言った。私だってそれはよくわかっている。丸山さんは物珍しいだけなんだって。

渋い表情の健とは正反対に智が呑気に言った。

「いいじゃん、兄ちゃんいい人そうだし。そんなことしなさそうな気がしたよ」

智が言う通り、丸山さんの言うことを間に受けてる自分もまたいる。

大きなため息を一つついた。
「あーどうしたらいいんだろう」

そう大声で叫んだ。

健は「悪いこと言わないからやめとけって。もう一回婚活して普通の男捕まえてくれよ」と言った。

智は「兄ちゃんのことなんか好きになっちゃったから、頑張って結婚してくれ」と無茶苦茶な事を言った。

私はどうしたらいいのだろうか。







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