第34話 習字が得意な人

文字数 1,522文字

運動会も無事に終わり翌日の日曜日の午前中、私は習字をしていた。

代休明けの火曜に習字の授業があるから苦手な習字を練習しようという思いもあったし、とにかく気持ちを落ち着かせたい、そんな思いもあったと思う。


「自然」という字を練習していたけれど、一つもうまくいかない。他の先生はあんなにうまく書けるのに、どうして自分は書けないんだろうか。

そう思い悩んでると、部屋のチャイムがピンポーンと鳴った。

時計を見ると十一時半だった。「はーい」と返事をし玄関に向かう。変に緊張しているせいか手足に汗を掻いている。


玄関の戸を開けるとやっぱり丸山さんが立っていた。丸山さんの目を見て「本当に来たんですか?」と思わず言うと、笑顔で「本当に来たよ」と答えられた。

「あっ、中にどうぞ」そう家の中に招き入れた。「今片付けますね」と散らかっている習字道具を片付けてようとした。

「習字やってたの?」と聞かれたので「全然うまくないんですよ、これでも十何年間教えてきたのに」

そう言うと何故だか彼は、「ちょっと貸して」といい筆を持つと手際良く紙を広げて筆をすずりでといた。

私は既に気がついてしまった、この人凄く上手な人だと。

案の定、筆の持ち方、運びかた、留め方全てが完璧で教科書のお手本より迫力があって上手だった。

丸山さんが全てを書き終わったとき、思わず拍手してしまった。

「凄い!本当に凄い!」丸山さんは得意気に「どう?俺かっこよく見えた?」と聞いた。

ふざけて聞いてたことはわかっていたけれど、習字が下手くそな私は感動し過ぎて

「はい、凄くかっこよく見えました」と馬鹿正直に言ってしまった。

直ぐに自分で「どうやってやるんですか、教えて下さい」と間を繋ごうとした。

丸山さんは「俺生まれて初めて習字やってて良かったと思ったよ」と笑ってくれた。

「何でそんなお上手なんですか?」そう聞くと「母親が習字の先生なんだよ」と少し嫌そうに答えた。

「やっぱりそうなんだ、何かそんな感じがします。育ちが良さそうな感じが」

「あぁ、本当?それより筆もっと下ろした方がいいよ、ちょっと水場借りるよ」と言った。

洗面所で丸山さんが腕まくりして筆をほぐしているのを後ろから見ていた。

「ほらできた、これで書いてみて絶対違うから」と言われたけれど、私は筆じゃなくて丸山さんの筋肉質な腕を見ていた。

自分でもちょっとどうかしてると思う。



丸山さんがほぐしてくれた筆で再び書いてみるとびっくりした。

「全然筆の進みが違う」と言うと「だろ?」と丸山さんが得意気に言った。

「あの丸山さん、もう一つ教えて頂きたいことがあるんですけど」「何?」

「右払いがうまく書けないんですけど、どうしたらいいですか?」「よしっ俺に任せろ」そう笑った丸山さんが眩しかった。

言われた通りにやってみても余りにうまく行かないので、丸山さんも一緒に筆を持ってくれて書いていた。

「ここでちょっと左に倒して、そうこんな感じ」 一緒に筆を持ってくれているということは、私の真横に丸山さんがいるということで、動悸が止まらない。

この時ばかりは恋愛経験の全くない自分を恨んだ。

「できた、凄い上手に書けた。あっ、丸山さんご飯食べませんか?私今日独断と偏見で男の人が絶対好きだろうなって食べ物作ったんです」

「何それ?気になるな」

「ちょっと待ってて下さい、あっテレビ見ます?ゲームやります?」

そう言って慌てて机の上の習字道具を片付けた。

片付け終わると、丸山さんに暇つぶし出来るものを渡して台所へと逃げて来た。


これはなかなか心臓に悪い。
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