第55話ちゃんとした場所

文字数 3,947文字

駐車場から見ると正面に見える管理棟の寂れ具合が凄まじい。三階建ての建物のはずなのに何重にも蔦に覆われて何階建てなのか、建物なのかも判別がつかなくなっている。

駐車場からダムへと登る長い階段の横には正面の全長10メートルはありそうか巨大な動物らしき石像があり、全身苔に覆われている。

そして幽霊でも出そうなこのじめっとした冷気、車を降りると背筋がゾクっとする。

丸山さんも同じことを感じたようで「確かにこれは一人で来たくない、こんな所小学生連れてきたら大騒ぎじゃないの?」と言った。

「そうなんです、だから当日は毎年一人は欠席者が出ちゃうんです。村にとったら大事なダムなので、役場の人も説明に来てくれるし、行く理由は大いにあるんですけど。
丸山さんこんな所についてきて貰って申し訳ないですけど、助かりました」

「いいよ、何か出たらネタになるし」
そう平気そうに答えてくれたので安心した。

「二年前に四年生持ってて下見に来た時は、智連れて来たんですけど、怖いから車から出ないって大騒ぎして結局一人で行ったんです」
「あいつ幽霊とか気にしなさそうなのにな」
「ねぇ」と言って二人で笑った。


一ヶ月後に社会科見学でこのダムを見学する、それでどうしても一度下見に来て動線やトイレの場所、昼食の場所を今一度確認しておく必要があった。

土砂崩れや管理不足で場所が使えないということになるのは避けたいからだ。


二人でダムへと続く階段を一段ずつ登る。階段を三分の二登った所でダムの全容が見えた。

丸山さんが「でかっ!ダムってこんな巨大なの?」と叫んだ。

「そうなんです、ちなみにここで水力発電しててその電気を村で使うんじゃなくて東京に送ってます」

そう言うと急に彼は拝み出した。

「ありがたや、ありがたや、このダムが無かったら、東京は夜に真っ暗で夜景見られないから」

「私も東京の夜景好きだから感謝しないと、ナイトプールと同じ理屈で好きです」

「キラキラして綺麗だから?」

「そうです、私もそうだけど、女の子ってキラキラした物に惹かれるんです。保育園の頃お金持ちの夫人がつけてそうな指輪を全ての指にしてネックレス何重にもしてました」

「それで女は夜景に弱いのか」と丸山さんが呟いた。

「今まで夜景を悪用して何してきたんですか」笑うと「ここ五年はしてない、絶対してない」と丸山さんは首を振った。

階段はもう少しで上りきれそうだ。

「あと十段くらいですね。その夜景に弱い女の人の気持ちわかるかも。高校生の時は、その頃IT社長が持て囃されてたから、東京に住んでたらイケメンIT社長とデートしてそういう夜景が綺麗な所連れてってくれると信じてました」

「えっ、アキちゃんもそんなこと考えるの?何か世の中達観した感じがあるから」

「私だって十七、八ぐらいの頃、流行り物好きだったし、キャピキャピしてたんです、地味だったけど。丸山さんも十七、八歳の頃ってそうじゃないですか?」

「俺は十七、八の頃自分が世界で一番面白いと思ってた、お笑いの天才だって、おれすげー、おれかっけーって、天才漫才師オレ。バカだな」

「でもいいじゃないですか、それで本当に成功してるんだから」

階段を登り切ったので「あの建物行きたいです」と言い二百メートル程先に見える管理棟を目指して歩き始めた。

しばらく歩くと彼がポツリと漏らした。

「成功してるのかな。歳とったら舞台でもテレビでも、それなりにこなせるようになってきて、あの頃の情熱が無くなってきたんだよね」

「その気持ちわかります。若い頃は子供の為にって思って夜遅くまで授業準備してたのに、明日の授業ここか、じゃあ、あーすればいいかなって、そんなに準備せずに帰っちゃいますから」

「年取るって怖いよな」
彼が心に突き刺さる言葉を呟いた。まさしく自分が最近一番恐れていることだったからだ。

ダムの一番端を見つめて彼を見た。

「…怖いですよ、自分のキラキラしてた物が無くなっていく気がして。だから他の学校の研究授業とか積極的に見に行くようにしてます。若い人がキラキラしながら授業してたら、自分もしっかりしようって思えるし」

「俺も若手見てたらそう思うよ、しっかりしろ自分って。だから俺達は五年前から年に一回は単独ライブしようってやってる。自分を追い込めるんだよな」

「単独ライブって大きい会場でやるんですか?」

「全然、1000人位入る会場だよ。渋谷にあるホール」

「1000人もお客さん来てくれるんですね、凄いじゃないですか。単独ライブなんて好きじゃないと見にいかないだろうし」

すると彼は得意気に言った。
「しかも毎年クリスマスイブにやってるからな」

「えっ、そんなのよっぽど好きな人しか…って北澤さんってお子さんいらっしゃいますよね?」
「三人いる、だから最初女遊びしない為にクリスマスイブにしようって言ったら非難轟々だったよ」

「そりゃあそうでしょ?御馳走買ってケーキ買って、プレゼント枕元に置かなきゃいけないし一大イベントの日なのに。奥さん一人でやんなきゃいけないじゃないですか」

「だから北澤の家は22日にパーティーしてサンタ来るらしい」

「えーっ、凄く迷惑ですね」とまた彼を見て笑った。
北澤家のクリスマスイブの話をしていたはずなのに彼は何故だかこれを聞いて来た。

「じゃあ亜紀ちゃんは去年のクリスマスイブ何してた?」

「えっ、突然ですね。友達は家族か恋人と過ごしてるので、去年は智が家に来て二人でケーキ食べてました」

「その前の年は?」「健は女の子が放っておかないし、智だけが家に来て…」

彼は「毎年それなの?」と笑った。「ここ最近は毎年そうかも」と私も笑った。

「じゃあ家族と友達と過ごした以外の思い出教えて」

「…家族と友達過ごす以外……あっ、高三の時に教室でパーティーしました。先生がクラス全員分のケーキ買ってくれて」

「そうじゃなくて、もっと甘い思い出教えて」


「甘い思い出……クリスマスプレゼントに椅子買ってきちゃうあれですか?」
「そう」
「ご想像にお任せします、あっもう少しで管理棟着きそう」


私はそう言って笑顔で切り抜けた。ここで丸山さんは?と聞いたら意気揚々と喋られて私も話さなくてはいけない流れになるからだ。

というか喋るネタが一つもないから、聞かれたら滅茶苦茶恥ずかしい。

「よっぽど触れられたくない思い出があるの?」と彼は少し笑った。

このまま、勘違いしてくれているまま、私は話を変えようと思った。管理棟の近くのベンチを目視し、トイレを覗き込みまた外に出てきた。

「ご想像にお任せします。でもみんなクリスマスイブに予定があるのに単独ライブ来てくれて嬉しいじゃないですか?ファンの人ってありがたいですね」

「有難いよ、五年前あんな事があったのに応援してくれるからさ。ファンレターとか読んでたら今日も頑張ろうって思えるよ」

珍しく殊勝な事を言うので彼のことが可愛く思えて笑顔で見つめた。

「そう思ってくれるなら応援のしがいがありますよね。私も何があっても、ブラックアンドホワイト応援してますから」

一瞬時が止まったのを感じ、自分の発言を後悔した。

丸山さんが気まずそうに言った。

「…何があっても俺のこと応援してくれるって言ってくれると思ってた」

「私も今言ってしまったなと思いました。そういうべきだったなって、ファンの人の話してたから、ついついブラックアンドホワイトのこと考えちゃいました」

そう言うと彼は笑った。

「いいよ、俺ファンには手出さないことにしてるから。応援してくれなくて」

どうしてこの人はちょくちょくこういうことを言ってくるのだろうか。どんなリアクションをすればいいのかわからない。

「テレビで言ってたんですけど、若手の芸人さんのTwitterフォローしてたらダイレクトメッセージ来るって」

「俺らのTwitter、マネージャーがやってるから、絶対そんなことしてないぞ」
彼は胸を張った。

私はスマホを見ると「本当だ、Twitterのアカウントあった。フォロー百万人って凄いじゃないですか?」

「マネージャーが一日一回、何かしら小噺付きで投稿してくれてるからな」

「えー凄い、マネージャーさんの努力もそうだけど、人気者ですね」私がそういうと彼は何故だか困った顔をした。

「テレビにもそこそこ出られるし、まぁまぁの知名度もついた。でも何ていうか時々こう虚しくなるんだよな。俺は漫才のトップになろうと思ってこの世界に入ったのに、ただの面白おじさんになってないか?って」

彼はそう言ってダムの広い空を見上げた。ヘリコプターが小さく移動している。

「丸山さんならきっとなれると思います、頂上までの道はひとつじゃないですよ。帽子岳の一緒に登った道は実は一番険しい道なんですよ」


「えっ、あれもっと簡単な道あるの?」

「ありますよ、私が知ってるだけで四つあります。その中に車で行き来できる道もあるんです」

「うわっ、それ聞きたくなかった。」
彼は大袈裟に頭を抱えた。

「でも私はあの道登ったから、子供達も成長できたし、登った時にやったって思ったし、テレビにも出れたし、」


一言余計なことを言おうとして口籠った。けれど丸山さんは一瞬の口籠りを見逃さなかった。「テレビにもでれたし?」と満面の笑みで聞いてきた。

彼は頭の回転が速いし、空気を読む天才だ。なのでこういうミスを見逃さない。






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