第361話 むかしながらの

文字数 1,278文字

 17歳の時、ぼくは定時制高校でけっこう立派なリンチのようなものを受けたので、もう高校を辞めようと思っていた。ちょうどその時期に、代々木ゼミナールという予備校で、「バイパススクール」という大検受検のためのコースが新設された。

 小学校も中学校もほとんど行かなかったぼくが、大検を受け、大学に行く…ほとんど夢物語みたいなものだった。
 結果的にぼくは横浜の関東学院という大学に入り、その前に大検も取得はして、しかし大学なんかより面白い人たちと出会える場をもてたきっかけが、その予備校にあったのだ。

 Kさんという数学の講師。ぼくはKさんと出会い、そこからいろんな人たちが枝で繋がっていって、ぼくはそこに絡んでいく自分をもっていた。
 人との、つきあいかた。
 ぼくは不登校児であった自分の過去を消去したかったし、「まとも」といわれる、みられる世界(それが大学だった、ぼくにとって)に染まりたかった。
 だが、Kさんは、そんな目的をもったぼくの前に、チャンと現われてくれた。

「脱学校の会」は、土師政雄さんという数学者の自宅のような場所を借りて、Kさんが始めていたサークルのようなものだった。
 ぼくはそこで、人とのつきあいかた、こんなつきあいかたもあるのか、ということを知った。
自分のままで、人と接して、いいんだ、という発見。
 抹殺しようとしていた不登校時代の自分が、抹殺する必要をなくした。
 まだ「不登校」という言葉も今ほど市民権?を得てもいず、しかし、ぼくとおそらく同じように何か感じて学校という場へ足の向かない人たちは、いたのである。80年代…中頃か。

 さて、今回のお盆休み、もちろんこのKさんとも会ったのだ。
 その「脱学校の会」はぼくが代表みたいな感じになって、でも結婚してから疎遠になって、別の誰かが後を引き継いでいたけれど、最終的にはどうなったのかよく分からない。ただ、今はないことは事実である。

 久し振りに会って、やっぱりKさんもあまりお変わりなく、話をしていて、「責任」という言葉が、話の中でぼくがとらわれた言葉だった。
 インターネットは、無責任に発言できる環境であること。
 たとえば昔々学生運動なんかがあって、何故デモにきみは参加しないのか、とかいうことを面々と向き合って自分の言葉に責任をもって発言をし、その言葉に対する責任を相手からも追求されるというか、とにかく人と人が『いる』、ということから繋がっていく重そうなものがあったようなのだ。

 もちろんインターネットだって人と人が繋がる。メール然り。でも、「言いっ放し」が通じる世界であること。もう気に入らなければそれ以上立ち入らなければいい。取り合わなくていいだけ。必要なし。それで終わり。とてもさっぱりしている。何だかんだ、バーチャル。

 それはそれとして、ぼくが今回Kさんと会えて嬉しかったのは、ぼくも年を取ったので、20歳近く年長のKさんに、以前より何か遠慮なくモノが言えるようになったということである。昔から遠慮はしないようにしていたつもりだけど。
 何を云おうとしたか、忘れてしまった。無責任です。
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