第332話 深夜のウルトラマンが

文字数 945文字

 昨夜、終わってしまった。
 毎週そんなに積極的に見ていたわけではないのだが、土曜の夜の眠りは浅く、昨夜もなぜかウルトラマンの始まる深夜3時半すぎに、「パッ」と目が覚めてしまったのだ。時計を見て、あ、ウルトラマン始まる、と思う自分もいた。

 何十年ぶりだろう。「ゼットン」を見たのは。そう、ウルトラマンを倒した怪獣である。ゼットンにやられたウルトラマンだけど、科学特捜隊の新兵器によってゼットンは爆破され、地球の平和は守られた、というストーリーであった。(ウルトラマンより、科学特捜隊のほうが強かったという)

 来週からは、「ウルトラセブン」が始まるというテロップが流れた。
 さて、このウルトラセブンの放映が開始された頃、世はベトナム戦争の時勢であったらしい。
何が正義か。何を守ろうとして戦争を始めたのか。それは、円谷プロダクションのスタッフにも、正義の味方というヒーローを作り出す上で、考えざるをえない命題を与えたらしい。

 もし現代でそういう架空のスーパーヒーロー作るなら(いろんなアニメとか実写ものがあるんだろうけど、よく分からない)、いっそとことん現実的にしてしまったほうが解かりやすいような気がする。
 つまり、ある国は戦争をすることで利益を得、その兵器をつくって輸出する国もその戦争に加担しているのだということ、つまり罪悪はお金だ、と思われがちでも、しかしほんとうの罪悪はそれにとらわれる人間の心にあるのだということを、子ども達に教えてもいいのではないか?

 総理大臣なんて全然偉くないこと、つまり一国の主なんて自分のことしか考えていないということを、そのまま描けば、いいんでないか。
 オトナなんて実はたいしたことないんだよ、ということを、子どもに伝えてもいいんじゃないかと思う。

 何が正しくて何が間違っているかという境界線のようなものが、混濁している時代性のようなものは、ウルトラセブンの時勢から、あまり根本的に変わっていない気がする。
 ヒーローは、カオスに弱い。自分が何のためにヒーローであらねばならぬのか、とらえどころがないと、立つ瀬がない。それは、自分が何のために存在しているのか、自分は何なのかというところへ突き詰めていける、すばらしい問題・テーマになりうるはずだと思えるのだが。
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