第98話 「誰でもできます」
文字数 1,539文字
T自動車の「期間従業員募集」の広告に打ち出している文句である。
しかし。
嘘である。
誰でもできやしない。
たとえば、今日の出来事。
私は今の職場に入って、8日目であった。
どうも、この職場、「1週間でどの人がどれだけミスをしたか」というのを、統計しているということが分かった。
「ワースト5」というワラ半紙に、5人の出したミスに対する、自身の反省・対策を書く欄があり、それは小さな紙ではあるが、ボードに貼られるのだ。もちろん私のミスは多く、書かされる羽目になった。
弁解するつもりが半分あるが、私は今の職場に来て、昨日で1週間であった。
2年前にいた職場とはいえ、仕事内容は違うのだ。
さらに言わせてもらえば、私は私のミスを自分で申告している。
うまく部品を組み付けるために、うまく作業しようとしている。だが、うまくいかない時がある。
そして教える人は、もちろん教えてくれるのだが、「最終的には、あなたの腕」という、つまり教えることにも限界がある、ということを言わんばかりなのである。
今日、最も私が「なんだ、この職場」と感じたのが、以下の件である。
私が組み付ける部品の部分の近くに、何か力のなさそうな部品がくっついていた。流れてきたエンジンに、である。
「あれ? いつもこんな感じだったっけ?」
違和感はあったが、自分のその感覚が正しいのかどうか分からない。で、またその車種のエンジンが来て、確かめようと思った。
いろいろな車種のエンジンが流れてきて、その違和感を感じたエンジンが再び来たのは、しばらく経ってからだった。
「ん、さっきの力ない感じと違う! この、力ある感じがホントなんだ」
で私は呼び出しボタンを押し、かけつけた人にそのことを告げた。
「この、前に来たこのエンジン、この部分がおかしかった気がします」
ホントにおかしかったのかどうか、まだ自信がもてなかったので、そう言った。
「気がします」という表現が、適切ではなかったようだ。かけつけた人は、ムッとした感じであった。
「具体的に何台前ですか」と訊くので、「5、6台前です」
彼はその方面へ行き、また私の所へ戻ってきた。
「見つけてくれてありがとうございます、でも」
私の工程にそのエンジンが来るまでに、誰かが部品を付け忘れたのだ。それで、何か力のない感じを私の手は受けたのだった。
「でも、」と彼は続けた。「でも、おかしいと感じた時点で知らせて下さい。」
この、「早く知らせて欲しい」ということを、何回も言っていた。
それはまるで苦情を言っているようであった。
ほんとにおかしいのかどうか、自分でも分からなかったのだ。
同じ車種のエンジンがやっと来て、あぁ、違う、と確かめて、やっと呼び出しボタンを押したのだ。
いや、正直に言おう。私は私の、自分の工程で手一杯である。他の工程のミスなんか、実は、私の知ったところではない。だが、やはりヘンなエンジンは見過ごせなかった。万が一、そのまま1つの部品を付け忘れ、その車を買った客に、何かあっては、いちばんいけないことなのだ。
しかし…その誰かのミスを見つけ報告した私が、まるで悪いことをしたかのような思いをしたのである。
2年前も、金曜日には必ず作業者全員が集められ、「今週の不良です」といって、不良品を出した者の名前が言われ、本人が反省の弁を言わされる時間があった。「さらし者」である。
私は思う。「ミスをしないように」どんなに恥をさらさせ、自覚をもたせようとしても、ミスはある。
肝心なのは、ミスをさせないように、そのテクニックを、教える人が、教えることだ。
だがこの今の私の職場は、それができないのである。「本人の腕」任せなのだ。
「誰でもできます」の広告は、嘘だと思う。
しかし。
嘘である。
誰でもできやしない。
たとえば、今日の出来事。
私は今の職場に入って、8日目であった。
どうも、この職場、「1週間でどの人がどれだけミスをしたか」というのを、統計しているということが分かった。
「ワースト5」というワラ半紙に、5人の出したミスに対する、自身の反省・対策を書く欄があり、それは小さな紙ではあるが、ボードに貼られるのだ。もちろん私のミスは多く、書かされる羽目になった。
弁解するつもりが半分あるが、私は今の職場に来て、昨日で1週間であった。
2年前にいた職場とはいえ、仕事内容は違うのだ。
さらに言わせてもらえば、私は私のミスを自分で申告している。
うまく部品を組み付けるために、うまく作業しようとしている。だが、うまくいかない時がある。
そして教える人は、もちろん教えてくれるのだが、「最終的には、あなたの腕」という、つまり教えることにも限界がある、ということを言わんばかりなのである。
今日、最も私が「なんだ、この職場」と感じたのが、以下の件である。
私が組み付ける部品の部分の近くに、何か力のなさそうな部品がくっついていた。流れてきたエンジンに、である。
「あれ? いつもこんな感じだったっけ?」
違和感はあったが、自分のその感覚が正しいのかどうか分からない。で、またその車種のエンジンが来て、確かめようと思った。
いろいろな車種のエンジンが流れてきて、その違和感を感じたエンジンが再び来たのは、しばらく経ってからだった。
「ん、さっきの力ない感じと違う! この、力ある感じがホントなんだ」
で私は呼び出しボタンを押し、かけつけた人にそのことを告げた。
「この、前に来たこのエンジン、この部分がおかしかった気がします」
ホントにおかしかったのかどうか、まだ自信がもてなかったので、そう言った。
「気がします」という表現が、適切ではなかったようだ。かけつけた人は、ムッとした感じであった。
「具体的に何台前ですか」と訊くので、「5、6台前です」
彼はその方面へ行き、また私の所へ戻ってきた。
「見つけてくれてありがとうございます、でも」
私の工程にそのエンジンが来るまでに、誰かが部品を付け忘れたのだ。それで、何か力のない感じを私の手は受けたのだった。
「でも、」と彼は続けた。「でも、おかしいと感じた時点で知らせて下さい。」
この、「早く知らせて欲しい」ということを、何回も言っていた。
それはまるで苦情を言っているようであった。
ほんとにおかしいのかどうか、自分でも分からなかったのだ。
同じ車種のエンジンがやっと来て、あぁ、違う、と確かめて、やっと呼び出しボタンを押したのだ。
いや、正直に言おう。私は私の、自分の工程で手一杯である。他の工程のミスなんか、実は、私の知ったところではない。だが、やはりヘンなエンジンは見過ごせなかった。万が一、そのまま1つの部品を付け忘れ、その車を買った客に、何かあっては、いちばんいけないことなのだ。
しかし…その誰かのミスを見つけ報告した私が、まるで悪いことをしたかのような思いをしたのである。
2年前も、金曜日には必ず作業者全員が集められ、「今週の不良です」といって、不良品を出した者の名前が言われ、本人が反省の弁を言わされる時間があった。「さらし者」である。
私は思う。「ミスをしないように」どんなに恥をさらさせ、自覚をもたせようとしても、ミスはある。
肝心なのは、ミスをさせないように、そのテクニックを、教える人が、教えることだ。
だがこの今の私の職場は、それができないのである。「本人の腕」任せなのだ。
「誰でもできます」の広告は、嘘だと思う。