第379話 お父さん

文字数 1,012文字

 ぼくの母は認知症である。
 この盆休みに、一人娘と実家に行った。娘は、「お祖母ちゃんへ」「お祖父ちゃんへ」という手紙をそれぞれ書いていた。そしてプレゼントのハンカチと一緒に、ぼくの父母に手渡していた。(優しいひとに、成長してくれたな、と思う)

 4人で、店屋物の蕎麦やカツ重を食べた。
 2、3時間、ぼくたちは一緒にいた。
 母は、久し振りに会う、10年以上会ってなかった、孫の姿を、喜んでくれていた。

 だが、2日後、まだ東京にいたぼくは、ひとりでまた実家に行ってみた。老夫婦の暮らす家、トイレの掃除と風呂掃除をしたかった。
「トモミ、手紙に何て書いてあったの?」ぼくは母に訊いてみた。
 母は、きょとんとした。
「手紙…そんなの、もらってないよ」

「えっ。なんかプレゼントももらってたじゃん。その時、手紙ももらってたよ」
「えー、何ももらってないけどねぇ…」
「トモミが来たことは、覚えてる?」
「トモミ…来たっけねぇ?」

 父が、母の置いていそうな場所を探したら、プレゼントの小箱と手紙が出てきた。
「ほら、あるよ。きみが、ここに置いたんだよ、自分で。」父が母に言う。
「あらぁ…初めて見るわー。」

「ん、お前、離婚したんだっけ?」
「うん、したよ。した。」
「そうだったかい…」

 しかし、母は、綺麗だった。
「染めてるの?」と、ぼくは母の髪を見て訊いた。
「染めてなんかないよ。」と母。
「いや、白いからさ。」
「染めてないから白いんだよ(笑)」
 だが、なぜか茶色い髪もあって、とても品があった。顔も、なんだか子どもみたいで、可愛かった。
「お祖母ちゃん、綺麗だね。」娘が、帰りの電車の中で言う。「うん、そうだね。」ぼくは応える。
「あ、お父さんもね、カッコイイって、友達に言われた。プリクラ、見せたの」
「あ、ホント?嬉しいな」(あれは映りがよかった。)

 家を出る時、父に挨拶しようとしたら、座椅子に座ってテレビを見ながら眠っていた。
「お父さん、ミツル、帰るって。」母が呼びかける。反応がない。「あ、返事がないってことは、寝てるんだね。」母が言う。
「うん、いいよ、起こさないで。また来るし。」ぼくが言う。
 父は、一緒に食卓にいる母が扇風機について同じことを繰り返し言う時、ぼくにそっと耳打ちした。
「オレはまだボケてないようだよ」

 父は、母のボケを、ほんとにそのまま受け止めている。受け止める、という意識さえないかのように。それが自然であるかのように。まったくの。
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