第367話 拘泥
文字数 818文字
鈴木さんは、ぼくの恩人のひとりである。
4年前に亡くなられて、しかし今ぼくのパソコンの横の本棚の上に、「鈴木さんとお別れする会」(みなさんからいただいた鈴木さんへのメッセージ、という小冊子)がある。
その表紙には、鈴木さんがタバコを指の間に挟みながら腕を組んで、正面を向いて少し笑っている写真。
だがぼくは、どうしても、「鈴木さんとお別れする会」と書かれた文字を見るたびに、首を振っている。
全然、お別れなんか、してないからだ。ぼくは、鈴木さんとお別れなんかしていない。ぼくは、鈴木さんと、一緒に今も生きている、と、思っている。
その「鈴木さんとお別れする会」には、ぼくも行った。
そこで、写真家の豊田さんが、「鈴木さんは、全共闘運動、その頃のものを、ずっと引きずって、それを捨てられない人だったんだと思う」というようなことを、たまたま外で隣りでタバコを吸っていて、話をして聞いた。
引きずるもの。
ぼくにもそれはオオアリだ。誰にだってあるはず。でもそれは、その時代性のものではない。いや、けっして豊田さんの言葉を否定するのではない。
ぼくは、自分自身がそれをもともと、もっていたということ。それを、ぼくはぼくの中に確かめたい。
たまたまその同時代、つまり鈴木さんが生き、ぼくが生きた時間に、出会えたということ。
鈴木さんのもっていた何かこだわりのようなものは、20歳年下のぼくのもっていたこだわりであったということ。その一致、などと言ってしまえばそれまでだけど、ぼくはとにかく鈴木さんの死は、「ない」としか言えない。
認めたくない、という問題ではない。鈴木さんがこの世にいないことは、よく分かる。
でも、ぼくがこの世に生き続ける以上、ぼくは鈴木さんのことを忘れることなんてできやしないのだ、ということだ。
そういう出会いって、ある。ということを、ぼくはいろんな人から知った。
だからぼくはまた東京に行ったら、Kさんとも会いたいのだ。
4年前に亡くなられて、しかし今ぼくのパソコンの横の本棚の上に、「鈴木さんとお別れする会」(みなさんからいただいた鈴木さんへのメッセージ、という小冊子)がある。
その表紙には、鈴木さんがタバコを指の間に挟みながら腕を組んで、正面を向いて少し笑っている写真。
だがぼくは、どうしても、「鈴木さんとお別れする会」と書かれた文字を見るたびに、首を振っている。
全然、お別れなんか、してないからだ。ぼくは、鈴木さんとお別れなんかしていない。ぼくは、鈴木さんと、一緒に今も生きている、と、思っている。
その「鈴木さんとお別れする会」には、ぼくも行った。
そこで、写真家の豊田さんが、「鈴木さんは、全共闘運動、その頃のものを、ずっと引きずって、それを捨てられない人だったんだと思う」というようなことを、たまたま外で隣りでタバコを吸っていて、話をして聞いた。
引きずるもの。
ぼくにもそれはオオアリだ。誰にだってあるはず。でもそれは、その時代性のものではない。いや、けっして豊田さんの言葉を否定するのではない。
ぼくは、自分自身がそれをもともと、もっていたということ。それを、ぼくはぼくの中に確かめたい。
たまたまその同時代、つまり鈴木さんが生き、ぼくが生きた時間に、出会えたということ。
鈴木さんのもっていた何かこだわりのようなものは、20歳年下のぼくのもっていたこだわりであったということ。その一致、などと言ってしまえばそれまでだけど、ぼくはとにかく鈴木さんの死は、「ない」としか言えない。
認めたくない、という問題ではない。鈴木さんがこの世にいないことは、よく分かる。
でも、ぼくがこの世に生き続ける以上、ぼくは鈴木さんのことを忘れることなんてできやしないのだ、ということだ。
そういう出会いって、ある。ということを、ぼくはいろんな人から知った。
だからぼくはまた東京に行ったら、Kさんとも会いたいのだ。