第303話 母のいるところ

文字数 842文字

 実家に電話したら、父が出た。
 父はもうすぐ90で、しっかりしているのだけど、耳がかなり遠い。
 ぼくが名前を言っても、聞き取れない。
 先日は、1分以上、「どちらさまですか」「ミツルです(ぼくの本名)」を繰り返した。
 やっとぼくだと認知されると、父は母に代わる。母のほうが、まだ耳が聞こえるから。
 だがその母も認知症である。今日がいつで、何曜日であるかが、よく分かっていない。
 言えば分かるのだが、すぐ忘れる。
 いくら家の2階にぼくの兄夫婦がいるとはいえ、大丈夫だろうかと思う。

 先日風邪をひいて行った病院の待合室に、「認知症の正しい知識」という冊子が置いてあった。
 多くがアルツハイマー病であり、認知症は脳の病気である、そうだ。

 もちろんぼくは母の認知症を自分の中に受け容れられるようになったが(やっと)、それが「病気である」と断言されると、「?」である。
 老いる、というのは、そういうものではないのか。
 何でも脳のせいにして、医学は生命を「モノ」としか見ていないのではないかと思う。それが医学というものだとしても。

 母には、いない「おじいさん」が見える。一緒に、住んでいるのだ。
 異常、といえば異常だが、本人に、見えているのだ。
 このことについて、ぼくは電話で何回か、「お母さん、おじいさんはいないんだと思うよ。」と言ってきた。
「お母さんだけが、見えてるんだよ」
「そんなことって、あるのかねぇ…」
 母は半信半疑である。でも、ぼくは、認知症とのつきあいかた、「正しい」つきあいかたがあるとしても、ぼくにとっての事実は事実として伝えていきたいと思う。母に見える現実がホントウで、ぼくが若年性認知症かもしれないな、という意識をもちながら。
 そして母が、母にとっての現実が、「これはボケなんだ」と母に自覚を促せるような意識が、母の中にあるはずの、自意識が、微かでも動きだしてくれたらと思う。

 そしてこれは── できれば、のことだけど── 母が亡くなるとき、ぼくは母を抱きしめていたいと思う。
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