第676話 人への励まし、自分への励まし

文字数 812文字

 今夜のFMは、「ZARD」の特集である。
 こないだ亡くなった、このバンドのボーカルのことを、なんとなく考える。
 ひとを、励ますような音楽を、いっぱいつくったという。
 しかし、この音楽をつくった彼女自身は、励まされていたのだろうか、と。
 なんだかとても孤独で、淋しかったような気がする。根拠はないけれど。
 自殺だったような気もする。

 ひとを励ますことはできても、自分を励ますことは、できなかった、というような、孤独感のようなものを感じてしまう。
 本当のところは分からないけれど、痛ましい。
 なぜ階段の手すりを越えなければならなかったのだろう?

 日頃、元気な明るい人が、突然、自殺する時があるのは、その元気さ・明るさは、周囲へ向けられたものであり、自分に向けられたものではないからだ。
 もし元気なく暗い自分があるなら、それを周囲へ(親しい者たちへ)向けて、それで少しでも、本人の背負った苦しみや重みを、軽減してほしい、と思ってしまう。
 こんなこと言ったらダメだ、とか、こんな私を見せたらこの人は私から離れてしまう、とか考えて、己を抑制したところから人間関係を始めても、何にもならない。

 生きることを美化する気は毛頭ない。ただ、人と人は、生きるために出会い、交流していくものだと思っている。死ぬために出会うのではない。
 だから、「まさか、あんな人が自殺するなんて」と口ごもるほど、何の理解もできなかった関係は、イヤである。
「はい、あの人は自殺すると思いました」と言えるような関係のほうが、まだいい。
 もちろん、親しい人に死んでほしくない。でも、親しい、好きな友人が自殺を選ぶのであれば、その気持ち、その思い、に、できる限り寄り添うというか、共に、いたい。
 自殺に、計り知れない勇気が必要であるとして、その死を思う友の気持ちとせめて同じように、勇気をもって、自分も、いたい、と思ってしまう。

「ZARD」から、妙な方向へ話が流れた。
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