第182話 大企業至上主義めいた風潮への疑問

文字数 1,010文字

 3年位前、親しかった正社員のA君が、10年勤めたこの会社を辞めた。その時、A君を知る別の職場の上司が「あいつもバカだなぁ」と言っていたのを思い出す。
 A君は、「入社した時、こういう先輩にはなりたくない、と思っていたような先輩に、『なれ』と言われ始めたのが苦痛だったのだ。10年も勤めれば、そう『なれ』というプレッシャーめいたものが、上からかかってくるらしい。
 僕は、そんなA君が好きだった。何より自分に正直なヤツだったし、仕事もしっかりこなし、ちゃんと周囲に気を配れる人間だった。

 まだ僕が寮にいた頃、風呂のサウナで「○○、辞めたんだって。もったいねぇよな、ここ辞めるなんて。」「ああ、もったいないなぁ。」という会話もたまに聞いた。A君のことではない。
 現在僕のいる職場でも、見込みのありそうな若手期間従業員に「社員にならんか?」と上司が誘いをかけているのを見たことがある。その風情は、「トヨタの正社員=イイだろ?」といった、上から下へ手を差し伸べるような構図である。断られると、「あ、そう。」

 傲慢さ、おごりが感じられるのは気のせいだろうか。

 ここを辞めるのはもったいないだとか、ここに勤めるのがとにかくイイのだとか、こういう観念は、何なのだろう。
 カネを稼がなければ生きていけない=ならば安定した会社で高収入。それだけの尺度でしかないのだろう、きっと。

 だが、この「単一的な尺度」が、職場では弊害になる。「期間従業員・派遣社員は、正社員より『劣っている』」という見方をつくる土台に、十分なり得ているからだ。いいモノをつくる目的は一緒で働いているのに、雇用形態の違いだけで甲乙をつけるような空気は、多くの非正社員にとってヤル気をそがれる刃となる。

 上司たちは、自分のことばかり考えているのがほとんどである。
 100人中、100人が「こうしたほうがやり易い」と思える部品置き場の位置ひとつでも、「面倒臭いから」(というのがミエミエなのだ)その位置を変えない。
 自分の査定に関わることには繊細になるが、ひとのこと、作業者のことなんか、どーでもいいのである。

 日本、いや世界のリーディング企業、ここの現場は、「自分のことだけ考えていればいい」が確固たる基盤で成り立っている。少なくとも僕のいる職場では。

 これ、この国の現在とリンクして見えるのは、気のせいだろうか。
 そろそろ、ここで働くのも潮時かと感じる今日この頃である。
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