第338話 信じるということ

文字数 685文字

 大江健三郎は若かりし頃、「くどい」文章を書いていたそうな。
「きみは、読者を信じていないのか?」
 そう指摘された大江は、ハッとした(らしい)。
 それ以来、「イイ」文章を書けるようになったとか。

 信じるには、信じるだけの、信じることができるだけの、何でもいいから何かがとにかくないと、信じることはできないと思う。

 大江が、指摘してくれた相手を信じていたのかなとも思う。
 その言葉がホントウだと感じて、そう感じた自分を信じていただけかもしれない。

 ともかく、くどい文章、<説明、説明、説明、>という羅列はなくなったらしい。

 文を書くのが好きなぼくは、読んで下さる方がいらっしゃる、というだけで、そうとう自分の文に(厳密にいえば、言葉が出てくる過程の『思考』錯誤、に)、自信めいたものができてしまいます。(←この安直さ、なんとかならんですか。)
 自信? 自信。違いますね、自分だけではないです。読んでくれる、という、ありがたさ、です。他信、でしょうか。
 こんな自分の文章(と呼べるのか?)を、1人でもほんとに読んでいる人がいる、ということは、ぼくにとってはなにものにも代えられない、何百億円積み上げられても、「そんなもんじゃない」と言えるというか。大袈裟です。
 しかしブログ、やってよかったです。『続けてて』よかった、が正確ですが。
 飽きっぽいぼくが、よくやってます。

「ブログとか、やらないの?」20年来のYさんと、何年かぶりに電話で話した時、言われた。「あぁ、なんかあるね。」みたいなことから始まったのが、そもそものきっかけだった。
ものの弾みでした。でも、弾んじゃいました…
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