第43話 離婚後の関係

文字数 1,266文字

 私は6年前に離婚をしているが、その後も年に何回か、元妻と子どもと、3人で一緒にカラオケに行ったりボーリングをしたり、スパゲティー屋に行ったりする関係を続けている。
 ひとり娘は、現在中学2年である。
 離婚する時、毎月5万円を私は養育費として、娘が20歳になるまで送り続ける約束をした。
 公的な約束とするために、公証役場という所に行った。
 公的というのは、たとえば私が養育費を送らなかったりしたら、私の財産を差し押さえるとか、そういった処置が施されるらしい。(財産なんてないのですが。具体的には、電気が止められるとかだったかな。詳しくは忘れてしまった)

 私も元妻も、ほんとうに憎しみあっていたわけではないので、公証役場の人からも「べつにいいんですよ、公的なものにしなくても」などと言われ、単なる二人の約束として、養育費だけは絶対に送り続けている。
 離婚というと、バツイチなんていうくらいだから、「バツ」なのだろう。
「マル」にならないものか、とよく思うけれど、やはり離婚は、あまりいいものではないのだろう。
 だが、できればマルにしたい、という願望が強い。
 ムリなのかな。

 マルというのは、離婚をしても、いい関係を保ち続けたい、それができれば、ということだ。
 いい関係とは。何でも話すことができて、困った時に、助け合うことができるということ。
 ムリなのだろうか。
 私たちは8年「夫婦」であったし、おたがいにおたがいのことをよく知っているはずなのだ。
 たぶん、実親を除いた、ほかの誰よりも。
 いいところもわるいところも。
 私の会社で知り合った人の中にも、離婚をした人はいる。3回目の結婚をした人もいる。
 だが多くは語らないし、こちらも訊かない。ただ、元気でやってほしい。

 だが元妻には、元気でやってほしいのはもちろんだが、それ以上に、ほんとうに困ったとき知らせてほしい、という思いが強い。
 これは恋愛感情とかではなくて、責任というのか何なのか、苦労をかけた負い目もあるが、どうしても大変なときは知らせてほしいと思う。
 このことは、メールをたまにしているから、返信も来るし、分かってくれていると思う。

 私が、離婚してから気づいたことは、「夫」だとか「男」だとかに、自分を縛りつけない、ということだ。
 私はひとりでそのプレッシャーのようなものを過剰に大きく肥大化させ、いちばん大きかったのは、「父親」として自分は失格ではないか、という疑心だった。
 形、体裁、常識、のようなものにとらわれ、妻とまっすぐ向き合えなかった。
 当時私は失業していたし、妻の実家の近所に住んでいて、義父母の目線が辛かった。仕事や義父母と一緒に暮らしていたのではなかったのに。

 子どもが20歳になったら、養育費が要らなくなる代わりに、関係も途絶えるのだろうか。
 元妻が再婚したら、メールのやりとりもなくなるのだろうか。
 いろいろ考えるが、よくわからない。
 ただ、正直でありたい。元妻をだいじに思う気持ちは、ずっと持ち続けるだろうと思う。
 こういうのって、おかしいだろうか。
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