第111話 夏休み
文字数 869文字
今日、久し振りに師匠から電話をもらった。
私が17歳のとき、予備校で出会った数学の先生である。(といっても私は分数の計算もできないが)
かなり長くつきあってもらっている。たぶん私のことを、私以上に知っている。
「どう、最近、応募してるの?」
ぎくっ。
応募とは、文学賞の応募のことをさす。私は2、3年前まで、小説らしきものをけっこう応募していたのである。
「いやぁ、全然ですね」
「そうかぁ…」
「ぼくの書いたの、ウケないと思うんですよ」
「わははは」
「あははは」(←笑うなよ、オレ自身が。)
「まぁ、いいものと、売れるものは、また違うからね。ウケ狙いばっかじゃ、つまらないし」
「そうなんスけどね…」
師匠も予備校講師のかたわらで数学ソフトの会社をやっていて、大変そうである。
小1時間くらい喋ったか。またメールします、と電話を切る。
あまりブログに時間をさくより、また創作に打ち込む時期に来ているのかなと思う。
しかし何だか日々の生活に追われている。
夏休み、11日もあるのだが、先妻と子どもと2泊くらいの旅行(あくまで予定)、両親とやはり 2泊の旅行(これもあくまで予定)、東京の友人達と3日くらい会えば、もうそれで夏休み、終わりそうである。
話は変わるが、私には「ふるさと」がないような気がする。(イメージね。)
ふるさとって、山があって川とかあって、って、そういうのが私のふるさとのイメージ。
私の生まれ育った板橋区は、ちょっと行けば埼玉県とはいえ、ビルやらマンションやら家で、ぎゅうぎゅう詰めである。
高速道路なんかもできちゃって、「空が無い。」
おまけに私の実家は数年前に改築し、私の部屋もなくなった。
実家に帰って私の寝る場所は、父と母のあいだに敷かれた布団である。恥ずかしい。
2階は兄と兄嫁夫妻の部屋およびダイニングキッチン、3階は甥と姪の部屋。
私の居場所がない。
実家に泊まるより、近くのビジネス・ホテルに泊まったほうが気楽、という…。
しかし大正生まれの父、昭和元年生まれの母、やはり年に1度くらい、顔を見せに行こうと思う。
私が17歳のとき、予備校で出会った数学の先生である。(といっても私は分数の計算もできないが)
かなり長くつきあってもらっている。たぶん私のことを、私以上に知っている。
「どう、最近、応募してるの?」
ぎくっ。
応募とは、文学賞の応募のことをさす。私は2、3年前まで、小説らしきものをけっこう応募していたのである。
「いやぁ、全然ですね」
「そうかぁ…」
「ぼくの書いたの、ウケないと思うんですよ」
「わははは」
「あははは」(←笑うなよ、オレ自身が。)
「まぁ、いいものと、売れるものは、また違うからね。ウケ狙いばっかじゃ、つまらないし」
「そうなんスけどね…」
師匠も予備校講師のかたわらで数学ソフトの会社をやっていて、大変そうである。
小1時間くらい喋ったか。またメールします、と電話を切る。
あまりブログに時間をさくより、また創作に打ち込む時期に来ているのかなと思う。
しかし何だか日々の生活に追われている。
夏休み、11日もあるのだが、先妻と子どもと2泊くらいの旅行(あくまで予定)、両親とやはり 2泊の旅行(これもあくまで予定)、東京の友人達と3日くらい会えば、もうそれで夏休み、終わりそうである。
話は変わるが、私には「ふるさと」がないような気がする。(イメージね。)
ふるさとって、山があって川とかあって、って、そういうのが私のふるさとのイメージ。
私の生まれ育った板橋区は、ちょっと行けば埼玉県とはいえ、ビルやらマンションやら家で、ぎゅうぎゅう詰めである。
高速道路なんかもできちゃって、「空が無い。」
おまけに私の実家は数年前に改築し、私の部屋もなくなった。
実家に帰って私の寝る場所は、父と母のあいだに敷かれた布団である。恥ずかしい。
2階は兄と兄嫁夫妻の部屋およびダイニングキッチン、3階は甥と姪の部屋。
私の居場所がない。
実家に泊まるより、近くのビジネス・ホテルに泊まったほうが気楽、という…。
しかし大正生まれの父、昭和元年生まれの母、やはり年に1度くらい、顔を見せに行こうと思う。