第394話 犯罪者に

文字数 1,109文字

 もう寝るのをあきらめたので、夕方見たテレビのニュースの話でもしましょうか。
 児童虐待、というやつですね。保育園児か幼稚園児にわいせつな行為をした保育士もニュースに出ていた。
 ひどい、とは、思います。いや、ほんとにひどいと思う。
 でも、なんです。感情に流されるのは、とても簡単なことです。眼が開かなくなるほど子どもの顔を殴りつける親や大人、自分の性欲だけのために子どもを利用できる大人。強い怒りをもって、そういう大人たちを、ぼくは見ることができます。子どもたちの気持ちを、涙ぐんで思いやる気に、なることができます。
 ただ、ぼくには、どうしてそんな大人たちができあがるか、ということ、それがどうしても気になります。相手の気持ちを、ほんとうにそこまで考えることができなくなるのか。どうしたら、そこまでできるのか。そこが、気になって仕方ありません。

 話を飛躍させていいでしょうか。
 死刑制度というのが、ありますね。ぼくは、実は反対なのです。傍観者だから、言えることかもしれません。でも、ぼくの一人娘が、仮に殺されてしまっても、できれば、ぼくは殺人者に、死刑を求めたく、ない。
 どうしたらそういう犯罪者になることができてしまうのか。その犯罪を生み出すのは、この社会であって、この社会に、生きているぼくら人間のあいだから、産出された犯罪なのです。
 その問題を、そういう犯罪を繰り返さない、繰り返させないためには、ただ「裁く」だけでは、何のためにもならないように思う。その先へ、何にも、繋がっていかないというか。

 では、ぼくは何を求めるのか。
 ひどい暴力を振るう者、弱者を弄んで自分の満足だけを追える者は、何も犯罪者だけではない。犯罪者は、そういうことができる人間だった。しかしそういうことはできなくても、そういう気持ちの荒んだ、乾き切った心をもつ人は、この世にゴマンといると思えるのです。
 なぜそんなに荒れ果てた気持ちをもつ人間になるのか。なぜそうなってしまうのか。
 肝心なのはその心の動きであって、犯罪者は、その心の動きを現実に体現してしまった。

 そんな犯罪というものを防止する、繰り返させないということを考えた時(それがいちばんだいじなことのように思えるのです)、ぼくには、その犯罪者、あるいは犯罪者予備軍の人たちの、荒みきった気持ちを、理解したいと思ってしまう。理解できないとしても、理解しようとしたい。かなりくるしい。

 ただぼくが感じるのは、更生させる施設の充実より、死刑台の器具の充実より、ひどいことのできる人間の、その荒みきった鬼のような人間の、気持ち、を、理解したい気持ちを、強く自分に求めたい、ということでした。
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