第853話 セブンイレブン

文字数 1,394文字

 中学卒業して、ぼくはセブンイレブンでアルバイトとして働き始めた。
 自分という人間が、この「社会」の中で、やっていけるのか? 大袈裟ではなく、自分の生きる力を、試されるような覚悟で、働き始めた。
 中卒で、生きていけるほど、ヨノナカ甘くない、というような空気も、その「覚悟」の後押しをしてくれた。

 引き算ができなかったり、誰もが知っているはずの掃除用具の使い方が分からなかったりして、まわりはぼくを珍しがったけれど、小学校・中学校をほとんど行かなかったことは、特に何の障害にもならなかった。
 引き算も一晩勉強したらできたし、掃除用具の使い方も教えてもらえばできた。

 売り上げ計算とか商品の発注とか、それなりに任せられて、お店に必要な人間として、自分でも仕事にやり甲斐を感じるようになった。
 ちょうど、今頃、テレビで野球の日本シリーズをやっている時期だった。
「今日、給料日だったんだろ? いくら、もらえた?」 家で、父が訊いてきた。
「うん、給料日だたんだけど、もらえなかった。」ぼくは父に答えた。
「もらえなかった? そりゃ、ダメだなぁ、店長。」父は言った。

 店の、パートのおばさんたち2、3人も、「お給料日に、もらえないなんて、おかしいわよねぇ」と、レジのところで話し合ったりしていた。
 その月だけでなく、先月もそうだったと思う。
 ぼくは、店長が忙しいんだと思っていた。よく赤い目をしていたし、「かめくんがいてくれるから、昼寝ができる」と店長が言っていた、と聞いたこともある。
 なにしろ、ぼくにとって、「初めて毎日一緒にいる社会人」が、店長だったのだ。
 店長のまじめさ、仕事のやり方、姿勢のようなものを、ぜんぶぼくは吸収して、自分のものにしようとさえ考えていた。
 店長は、ぼくにとって、社会の代表者だった。

 だが、給料。そうか、給料日には、どんなに忙しくても、店長、給料袋にお金を入れて、従業員に渡すこと、しなきゃ、ダメなんだ。父やパートのおばさんたちの話を聞くうちに、ぼくは、店長に、言わなきゃ、と強く思った。
 で、言ったのである。その日の帰り際、タイムカードを押して、ロッカー兼事務室にいた店長に、「店長」とぼくは言った。「お給料日には、チャンと、給料を払ったほうがいいと思います。○さんや△さんも、楽しみにしてたみたいです。」

 店長は、ムッとしたようだった。そして、「かめくん、そういうことは、言ってはいけないことだよ。」と、厳しい顔つきになって言った。
「自分が言ったことが正しいと思うなら、明日、店に来なくていい。」(よく自分の言ったことを考えて、間違ったことを言った、と思ったなら、来い、とも言われたと思う)
 ぼくはなんとなくお辞儀をして、店を出た。

 翌日、ぼくはいつものように家を出た後、店に行かず、埼玉にある森林公園という大きな公園にひとりで行った。自分が間違っているとは、思えなかったからである。
 1日歩いて、いつもの時間帯に家に帰ると、母が、「おまえ今日、お店行かなかったの? 店長から電話があったわよ、明日は、来てくれ、って。」
 ぼくは仕方なく笑って、べつに詳細については親に話さなかったように思う。

 この、秋の空なんかを見たり、空気、風の具合、毎年、ふっと思い出す、むかしの話である。
 25年も前の話なのに、ぼくは何も、まるで何も変わっていないようだ。どうしようもない。
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