第65話 愛されてるって、どんな時に感じますか?

文字数 1,127文字

 という質問を、職場で、二人にしてみたのである。
 一人の上司は、「難しいこと聞くなぁ」と言って、しばらく考えていて、そのまま何の返答もなかった。
 一人の女性は、「うーん」と言って、不思議そうに私をちらと見て、やはり何の返答ももらえなかったのである。
 聞いた本人の私も考えてしまった。
 仕事しながら考えていて(でも大丈夫ですよ、不良品は流しません)、あ、友達、と、ふと思い当たったのだった。

 当初は女と男のそれを考えていたのだが、どうも、女でも男でもなかったようであった。
 友達。
 私がしんどい時、つまり絶望していたり悲しんでいる時、友達が、ふっと、いてくれたのである。

「かめ君がどんなに悪くなったとしても、僕はかめ君の友達だから。」ひとりぽっちで正月を迎えたボロアパートで、20年来のつきあいのあるS君がくれた年賀状。嬉しくて、涙ぐんだ。
「なんか大変みたいだなぁ。うん、電話、かけ直すねー。」会社に行くのがつらくてつらくてどうしようもなかった時、やはり20年近いつきあいのTさんが、長電話につきあってくれた。
 私はぼろぼろと涙が出て、そのままTさんに私の気持ちを打ち明けていた。
 あんなに、誰かと話していて泣いたのは初めてだった。

 私はこの時、つまり一通の年賀状と、一本の電話から、S君とTさんの愛を、確かに感じていたのである。
 前妻からも、いっぱい愛されていた。もちろん、さかのぼれば両親からも。
 だがそれは、まるで当たり前のように過ぎていったことだった。

 頭の悪い私が、「愛されてるって、どんな時に感じますか?」という自問に自答でき得ることは、「自分がほんとうにつらい時、悲しい時。そんな時、そばにいてくれる誰かがいる時。」
 つまり自分がほんとうにくるしんでいる時、という前提がなければ、その愛というやつは、感じられなかったということになるのだ。

 もう少し仔細にいえば、自分がほんとうにくるしんでいるかどうかというのは、その友達がいなければ、私には分からなかったことなのだった。
 その年賀状の言葉に、あんなに涙ぐむとは思わなかったし、電話で、まさか涙を流しながら話すことになるなんて、全く考えてもいなかった。

 私の中の知らない私、自分で思っていた以上にくるしんでいた私を、友達は、その愛をもって、引き出してくれたように思うのだ。
 私には、思い込みではなく、S君のおもいと、Tさんがちゃんとうけとめてくれたことが、感じられたからである。

 年賀状は心強く、電話で泣いた後はすっきりして、翌日から何もなかったように出勤していた自分がいた。
 S君とは、いつ会っても同じようにつきあえるし、Tさんとも同様である。
 友情、なんて言葉もあったが、あれは、愛だった。
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