第702話 宗教戦争

文字数 1,151文字

 昨日、京都から来た友達S君と、会社の友達と、3人で飲んだ。
 京都の友達もこの会社で働いていたことがあって、その時、かなり親しくなった。
 工場で食べるメシ、いつも一緒、ふたりでよく色々なことを話し合い、とにかくS君は、ぼくと親友のようなものだった。

 S君は26歳の青年。今年、「ぼく、○○(宗教団体)の会員になったんだ」と、S君はぼくに打ち明けてくれた。
「なんで? おい、目を覚ませ」と、ぼくはS君に言った。
 しかし、昨日一緒にいたS君は、その宗教にどっぷり浸かっているようだった。
 同じ会員のことを「同志」と言い、ナムアミダブツと、ホウレンゲイキョウの違いのことも、教えてくれた。

 昨日のささやかな飲み会にいた、もう一人のぼくの友達は、56歳。彼も、30年前に、その○○という宗教の会合に、知り合いに誘われて一度参加したと言う。「異様な雰囲気じゃない? S君、馴染めたの?」
「うん、異様っていうのは分かる。でも、ほんとに色々な人がいて…」と、説明するS君。

 ぼくは、基本的に宗教はどうでもいい。信じたいものを信じていればいい。
 しかし、なぜ、勧誘するのかということだ、腹立たしいのは。
「正しい」「普遍的な」「これが絶対」というものは、個人が思っていればいい。
 それを、人に、押し付けるな。

「なんで、宗教っていうものに、拒否反応する人が多いんだろう」とS君は言う。
 それは、ぼくも同じ疑問だった。一緒に考えた。
「『同志』って言葉、使ったよね。そしたら、オレら、何なんだ、って思っちゃうんだよ。オレら、友達なんだよ」56歳の彼が言う。

 そうか、やっぱり関係── そこから、「拒否反応」は、うまれるんだ。
「拒否」をする以上、その「相手」がいる。自分もいる。拒否される相手と、拒否する自分がいる。
 S君が、同じ宗教を信じる人を「同志」と呼ぶ、その時点で、もう、住んでる世界が違っちゃってたんだ。

「同志」より、友達が、ぼくは、いい。そりゃ、同じようなココロザシを持った人と、ぼくは親しくなったこともあるけど、基本は「友達」だった。

 九州の酒飲み友達が、「宗教、結局戦争につながっちゃうんですよね。だからぼくは嫌いなんです」と、言っていたことがあって、ぼくもとても同意した。
「信じる・いい社会をつくりたい・正しいことを正しいとしよう」、分かる。
 S君、分かるよ。でもね、それは個人個人が、生きていく上で、それぞれのペースの中で、気づくものだ。
 どんなに、「間違った」「悪いこと」を、友達がしたとしても、それでも友達でいてくれるのが、ほんとに友達なんだよ。
 強制しちゃイケナイ、「これが正しいんだから」とか「これがいい社会なんだ」とか。

 S君、ぼくは、きみを信じたいんだよ。
 きみの後ろ盾にある、宗教ではないんだ。
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