第10話 二十歳の頃に

文字数 1,218文字

 私が大検から大学に入ろうとしていた頃、通っていた予備校に素晴らしい講師がいて、以来ずっとおつきあいをさせて頂いている。
 このK先生との出会いから、不登校に関する場との関わりが始まり、さらに多くの人たちと知り合うこともできた。
 K先生が始め、その後を私が引き継いだ形でやっていた「脱学校の会」。

 公教育というものに疑問をもち、学校に行かなくても勉強ができたり、友達ができたりする場があってもいい、という考えで始まった。
 私にとっては、社会に向けて何かを発信するということを知る、はじめての機会だった。

 今はそういった活動もしていないので、何か始めたいとは思っている。
 子どもが子どもを殺傷する事件なんかをニュースで知った時は、とくに体が強く感じた。何か、自分にできることはないか、と。
 正義だとか、いい世の中にしたいとか、そんな頭の考えからではない。
 ただ、体が反応した。

 二十歳の頃の自分のありかた、社会みたいなものと、自分がどう関わり、向き合っていたか、といったものが、私の体の中に残っているのだろう。
 今の子どもたち、魅力のない大人たちの空気を感じて育ってるのだろう。
「ニート」って若者が増えても、当たり前じゃないか、と思う。

 私の10代、20代。よく、寝る前なんかに思い出して考える。
 あの頃、よくカラオケに行き、居酒屋に行き、喫茶店で何やら話し、私の部屋の絨毯に落ちていた髪の毛なんかをもそもそ集めて、一緒にうだうだやっていた友人たちは、今は何をしているのだろう。

 べつに、何もたいしたことはしていなかった。
 ただ、余りある時間(時間がいっぱいあったような気がする)をどう使っていいか分からず、なんとなく将来が不安で、何をやってもシックリ来る感覚がもてなかった。
 自分が、何をやっていいのか、全くわからなかった。

 でも、一緒に、その場、その空気、その時間を過ごした友達がいたことが、私にとって何よりもありがたいことだった。
 まだインターネットも携帯メールも普及していなかった。
 実際に会うか、電話で話すか、手紙を書くことが、人とつきあうということだった。

 今も交信のある友達とは、当時と比べれば会う機会がほとんど失われている。
 仕事をもち、家庭をもち、高知へ転勤してしまった親友、東京にいる友達。
 私は愛知にいるのだから、物理的にしょっちゅう会えないし、また会える時間もそうそうなくなっている。

 私が本格的に愛知に住み始めて、3年が過ぎた。
 身近に、近所づきあいみたいな感じで、何か一緒にできる仲間がほしい。
 しかし、原発反対、ブッシュはNo、核兵器廃絶、日本の戦後責任。
 私の触覚が動くテーマはあるけれど、その会やら集まりに、なかなか足が向かない。
 自分の中に根づいている、動かし難いもの、その何かを掘り下げていくようなこと。
 自分の中に何もないとしても、人と交流することで、何かが始まるようなこと。

 何なのだろう、それは?
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