第714話 光市母子殺人事件
文字数 836文字
ひどい裁判が、行なわれていると思う。
あきらかに、「元少年」(誰だって「元少年」だわな、時間経って大人になりゃ)の弁護団はおかしい。
「こう言えば、おまえの罪、軽くなるから」という弁護団の思惑がミエミエなのだ。
殺人を犯した「元少年」は、甘いほうへ行く。「ああ、この人たちの言う通りにすれば、自分の罪が軽くなる」へ行く。
殺人は、罪である。なぜ罪なのか? テレビを見ていて、痛々しい、あの母子を殺された、だんなさん、あの人の気持ちを想像する、それはもう耐え難いもの。しかし裁判は行なわれ、そして何より何より、望んだわけでもないのに、殺されてしまった、ふたりの人間を殺したということが、罪なのだ。
ぼくは、死刑は野蛮で、その制度は廃止してほしいと思っていることは、以前もブログに書いた。そのたびに反論を頂いたけれど、今もその思いは変わらない。自分の一人娘が殺されても、ぼくは死刑制度に反対だ。相手が殺されても、ぼくの子どもは帰ってこない。
殺される「べき」人間など、いないはずなのだ。
この、だんなさんが、「このままずっと嘘をついて、(死刑になったとしても)この『元少年』の人生は何だったんだろう、と考えざるを得ない」というようなことを、テレビのニュースで言っているのを見た。ほんとうに、そこだと思う。
裁判──「罪」の意識を軽減し、「こうすればおまえは助かる」という「弁護」の仕方は、罪を犯した人間のことを、何も考えていない。
更生、という言葉は、よく分からないが、「おまえは罪を犯した。とんでもない罪だったんだぞ。わかるか、そこから、おまえは、はじめなきゃ、いけないんだぞ。おまえの生命、今から、ずっと、それを引きずっていかなきゃいけないんだぞ」というところから、始めるのが、この裁判、加害者の弁護団の、出発点だったのではないか?
死ぬより、生きているほうが、つらいのだ、あのだんなさんには、ほんとうに、がんばってほしい、あんな、加害者の「弁護」は、あっては、おかしい。
あきらかに、「元少年」(誰だって「元少年」だわな、時間経って大人になりゃ)の弁護団はおかしい。
「こう言えば、おまえの罪、軽くなるから」という弁護団の思惑がミエミエなのだ。
殺人を犯した「元少年」は、甘いほうへ行く。「ああ、この人たちの言う通りにすれば、自分の罪が軽くなる」へ行く。
殺人は、罪である。なぜ罪なのか? テレビを見ていて、痛々しい、あの母子を殺された、だんなさん、あの人の気持ちを想像する、それはもう耐え難いもの。しかし裁判は行なわれ、そして何より何より、望んだわけでもないのに、殺されてしまった、ふたりの人間を殺したということが、罪なのだ。
ぼくは、死刑は野蛮で、その制度は廃止してほしいと思っていることは、以前もブログに書いた。そのたびに反論を頂いたけれど、今もその思いは変わらない。自分の一人娘が殺されても、ぼくは死刑制度に反対だ。相手が殺されても、ぼくの子どもは帰ってこない。
殺される「べき」人間など、いないはずなのだ。
この、だんなさんが、「このままずっと嘘をついて、(死刑になったとしても)この『元少年』の人生は何だったんだろう、と考えざるを得ない」というようなことを、テレビのニュースで言っているのを見た。ほんとうに、そこだと思う。
裁判──「罪」の意識を軽減し、「こうすればおまえは助かる」という「弁護」の仕方は、罪を犯した人間のことを、何も考えていない。
更生、という言葉は、よく分からないが、「おまえは罪を犯した。とんでもない罪だったんだぞ。わかるか、そこから、おまえは、はじめなきゃ、いけないんだぞ。おまえの生命、今から、ずっと、それを引きずっていかなきゃいけないんだぞ」というところから、始めるのが、この裁判、加害者の弁護団の、出発点だったのではないか?
死ぬより、生きているほうが、つらいのだ、あのだんなさんには、ほんとうに、がんばってほしい、あんな、加害者の「弁護」は、あっては、おかしい。