第76話 天皇制って何だろう

文字数 1,051文字

 昭和から平成に変わる頃、私は埼玉の東松山にある丸木美術館という所で、穴を掘っていた。
 横穴を、最初はつるはしで、次第に削岩機を使い、友人も駆けつけてくれたりして、チーズを発酵させるための穴を掘っていたのだ。
 テレビはほとんど見なかったので、どんな時勢だったのか、よく分からない。
 ただレンタルビデオ屋が繁盛していたらしい。

 こないだまで職場にいた派遣社員が、「天皇制って、要らないですよね」と、休憩所にあったテレビを見て、言っていた。私も同感だった。
 はっきり言って、どうでもいいのである。なぜ、どうでもよくなっちゃったのだろう。
 だが私にとっての問題は、「ほんとはどうでもよくないはずなのに、どうでもいいかのように思えてしまう自分」。

 大学時代、「天皇制は必要だ」と言っていたクラスメイトがいた。
 なぜ必要なのか、との問いへ、彼のくれた答も忘れてしまうほど、どうでもいいのだろうか。
「こうなっているのだから、仕方が無い」という諦念は、ぐるりと回って悪いほうへ向かいがちだ。今の政治なんかがそうである。

 一時期、戦争責任云々というのもあったようだ。その天皇・皇后両陛下が、サイパンへ慰霊訪問。昨日のニュースだ。なんとなく、見ていた。
「バンザイ・クリフ」。天皇陛下万歳を叫んで、多くの人が身を投げた場所。その称号をもった現在の天皇がその地で手を合わせる。

 もし自分だったら、と考える。
 少なくとも自分の名前(「天皇」だ)、名前というか、立場、の自分が、自分の名前を叫ばれて、身を投げて死んでいった人たちのことを思うと、くるしい気持ちになる気がする。
 ほんとに平和を願うなら、私だったら「もう、そんなバンザイなんて叫んで死んでほしくないから、私、叫ばれたくないし、天皇、やめます。」などと言ってしまいそうだ。

 天皇制は、政治に利用される、との話も聞いたことがある。
 昨今の韓国、中国、つまりアジアに対する外交の不手際を、サイパンという場をもって、修正の一貫でも狙って、政治家が一手打ったのだろうか。

 皇族がどんな教育を受けているのか知らない。天皇は、自分の意志を持ってはならない、と識者がテレビで言っていたのも見た。
 ただ、ずっと続いている制度であり、これからも続いていく制度なのだろう。
 そしてその皇居周辺にうごめいている偉そうな官人たちへの給料の出どころも、結局は国民のゼーキン。どうでもよくないではないか。
 まぁお金のことよりも、よく分からないのが、制度という現実面と、それが民にもたらす、何か。
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