第30話 ことばのちから
文字数 943文字
「どうしたら戦争がなくなるのか」という大仰なタイトルで昨日書いたけれど、もう少し身近なところを見てみたいと思った。
私が、「この人には、かなわない」と感じる人は、理解力のある人である。
人とつきあうということ。
まず、相性というのは、どうしようもなくあるようだ。
もう20年以上つきあっていただいているコバヤシさんとは、相性がいいのだろう。
私は、このコバヤシさんの前では、もはや全裸の状態である。
どんなに自分をとりつくろっても、もう「分かられている」感じ。
理解されている、という感じ。
この理解力というものは、核兵器よりも強い武器ではないか、と思うのだ。
ただ、これは、黙っているだけでは何の効力も発揮しない。
言葉で、「自分はこう思っている」ということを相手に伝えて、初めて相手に伝わる。
想像力、と言い換えることもできる。
相手の気持ちを考える、ということ。
自分の思いを言葉にして、誤解されることもあるだろう。
そしたら、理解されるよう、また言い直す。
そんな繰り返しであったとしても、それでも関係は成り立つ。
おたがいに、相手のことを理解しよう、という気持ちがあれば。
だが、相性。
これは何なんだろう。合う、合わない。好き、嫌い、というそれだけのものだとしても、お互いが「感じる」ものなのだろう。
「相性が悪い」=「あいつ、嫌い」、とても感覚的なもの、あほらしいほど単純なもの、それが動機となって、あっけなく人を殺したりする。
そこには相手への想像力も理解しようという気持ちも微塵もない。
話が飛躍した。
結局、何かを相手に感じることから、人が人をあやめることができるのならば、そのスキマ、人が人に刃を向ける前に、言葉が、説明が欲しいと思うのだ。
感じたことを、相手に言葉という形にして、伝えること。
れいによって、また何が云いたいのか、わからなくなっている。
ただ、戦争の話に戻せば、戦争には、戦争をすることで、儲かる人間が必ず居るということ。
アメリカに多いようである。
民族紛争というのは、戦争とは違う。
個人どうしの争い、は、また別のものなのかもしれない。
ただ、戦争というテーマを、身近な人間どうしの争いに引きつけて、書いてみようと思った。
うまく書けなかった。
私が、「この人には、かなわない」と感じる人は、理解力のある人である。
人とつきあうということ。
まず、相性というのは、どうしようもなくあるようだ。
もう20年以上つきあっていただいているコバヤシさんとは、相性がいいのだろう。
私は、このコバヤシさんの前では、もはや全裸の状態である。
どんなに自分をとりつくろっても、もう「分かられている」感じ。
理解されている、という感じ。
この理解力というものは、核兵器よりも強い武器ではないか、と思うのだ。
ただ、これは、黙っているだけでは何の効力も発揮しない。
言葉で、「自分はこう思っている」ということを相手に伝えて、初めて相手に伝わる。
想像力、と言い換えることもできる。
相手の気持ちを考える、ということ。
自分の思いを言葉にして、誤解されることもあるだろう。
そしたら、理解されるよう、また言い直す。
そんな繰り返しであったとしても、それでも関係は成り立つ。
おたがいに、相手のことを理解しよう、という気持ちがあれば。
だが、相性。
これは何なんだろう。合う、合わない。好き、嫌い、というそれだけのものだとしても、お互いが「感じる」ものなのだろう。
「相性が悪い」=「あいつ、嫌い」、とても感覚的なもの、あほらしいほど単純なもの、それが動機となって、あっけなく人を殺したりする。
そこには相手への想像力も理解しようという気持ちも微塵もない。
話が飛躍した。
結局、何かを相手に感じることから、人が人をあやめることができるのならば、そのスキマ、人が人に刃を向ける前に、言葉が、説明が欲しいと思うのだ。
感じたことを、相手に言葉という形にして、伝えること。
れいによって、また何が云いたいのか、わからなくなっている。
ただ、戦争の話に戻せば、戦争には、戦争をすることで、儲かる人間が必ず居るということ。
アメリカに多いようである。
民族紛争というのは、戦争とは違う。
個人どうしの争い、は、また別のものなのかもしれない。
ただ、戦争というテーマを、身近な人間どうしの争いに引きつけて、書いてみようと思った。
うまく書けなかった。