第505話 no-title

文字数 839文字

 職場の休憩所のテレビで、中国の「公死刑」の映像、夕方あたりのニュースだ。
「日本でもやればいいのに。」ぼくの隣りに座る「自称・極右寄り」の青年がいう。
 ぼくは耐え難いものを感じた、かれの言葉にだ。
 だが、黙ってタバコを吸っていた。ただ、ぼくはすぐに休憩所を出てトイレで小便をした。

 悪いことをしたら、こうなるんだよ、ということを、見せしめればいいんですよ。
 酷いことをしたら、酷い仕打ちをされて当然でしょう。人を殺したような人間は、死刑になればいいんです。当たり前でしょう。まぁ、どうせ死刑に処するなら、公開すりゃいい。そうすりゃわかるでしょう、ああ、悪いことをしたら、こうなるんだ、って。子どもにも。

 かれのいいたいことは、こんなところだろうと推測される。

 なるほど、一見、スジが通ってそうだな。
 そうか、「見せしめ」れば、強圧的に、見せしめれば、恐怖心が、子どもにも植え付けられて、悪いことをしなくなるってか。

 なるほど。
 違うんでないの?
 青年よ、きみは、間違ってるよ。教員希望らしいね。ああ、きみは教師にはうってつけだ。
 恐怖心から、「ああ、悪いことすれば、ああなるんだ」ってことから、子が善悪を知る。それは違うよ。
 そんなところから知れてはいけない。

 たとえば戦争がある。今もある。ひとりの勇敢な無名戦士が、命を賭してその戦争を止めたとしよう。その戦士は死ぬ。そして戦争が終わったとしよう。平和な世界になったとしよう。
 それで、ほんとうに平和な世界が成り立つと思うか?
 犠牲は、払われては、ならないんだ、いかなる時でも。人が死んで、平和になるなんて、間違っているんだよ。

 青年よ、きみの思考は、論理に傾斜しすぎている。
 人を納得させるものは、論理ではない。
 頭ではないのだ。脳や思想なんか、便所の紙にもならないのだ。
 生贄を神に捧げた古代の時代。犠牲は、あってはならないんだよ。

 青年よ、きみとは考え方の全く違うぼくだが、隣りに座っている。
 きっと、仲良しになれるぜ。
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