第508話 かわいそうな福

文字数 957文字

 昨日の朝、寝る前に、「遊んで」という福の要請を受けて、福とタコ糸で遊んでいたのである。
 タコ糸をぼくが手に取った時の福の目。「キラリ」と輝いた。
 遊んでほしかったんだなぁ…。

 ぼくは布団の上に座り、タコ糸をぐるぐる、自分の体のまわりに回す。福は掛け布団越しにジリッと「伏せ」の状態になって、獲物を狙うハンターと化す。その目は、タコ糸の先端部分にすべての注意力が注がれている。
 バッ、と福がぼくの背後に飛んだ。アッ、とぼくは思った。ちょうど、ぼくのタコ糸を回していた手が、福の顔面に当たってしまったのだ。
 福はびっくりして、無言で寝室から居間へトットットッと早足で行ってしまった。ぼくはびっくりして、世界の終わりのように悲しくなった。

 ごめん、ごめん、ごめんね。謝りながら、福の頭を撫でる。業務上の過失。致死にはならずも、重大な過失。
 以前も、棒の先に何か付いたオモチャで遊んでいた時、その棒が福の顔面に当たってしまったことがあった。
 それ以来、福は、ぼくがそのオモチャを持つと、逃げてしまうようになった。自分に、何か危害が加わるものに対して、福はとてつもない記憶力がある。ぼくは、福のその頑迷な記憶力の前に、無力になる。昨日、あのオモチャを取り出したら、福は逃げたのだ。何ヵ月前だろう、福に、あの棒が当たってしまったのは…。ぼくは、その姿を見て、うっすら涙ぐんでさえいた始末であった。

 ああ、そうだ、タコ糸でなくて、Nさんからもらったクッキーの箱に結んであったリボンで遊ぼう。これなら、と、ぼくはまた布団の上に座ってリボンをぐるぐる回した。だが、やはり福は、怖がっている。そしてキッチンへ逃げてしまった。ああ、そうか、福は、自分の顔に当たった、ぼくの『手』に、怯えているのだ。ぼくが手をぐるぐる回す、それがタコ糸であれリボンであれ、福はぐるぐる回るぼくの『手』に、怯えているのだ!

 ぼくは途方に暮れる。福の大好きだったタコ糸、リボン、これらが、もはや福の恐怖心を触発させるものでしか、その意味をもたないのだ。あんなにいっぱい一緒に遊んでいたのに、もう一緒に遊べない。
 過ちは一瞬、償いは一生、とスヌーピーも言っていた。
 ああ、…。

 今、福は「コメット」という、キラキラしたボール状のオモチャでひとりで遊んでいる。
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