第477話 酒の記憶②

文字数 1,331文字

 一緒に酒を飲む相手次第なのである。
 アルコールの「酔い」そのものに酔えていた10代の頃に比べ、20歳過ぎたあたりから、一緒に飲んでいる相手によって、自分の「酔い」への影響が大きいことに気がついた。

 23歳くらいの時、一緒に住んでいた彼女が(のちに妻となり、今は『元』妻となっているが)妊娠し、ぼくはそれまでやっていた貯水槽清掃のアルバイト先の社長から、「正社員になれ」みたいな話をもらい、父親たるもの、定職には就くものだろうという既成概念に飛び込もうとしていた時期だった。

 ブリ○ストン(あの有名なタイヤ・メーカーも貯水槽をつくっていて、その工事なんかの仕事ももらっていた)の人たちを4人招いて、ぼくの歓迎会のようなものが飲み屋で開かれた。もうぼくは現場に出る機会もなくなり、まるで「社長の跡を継ぐ」ことを前提としたような、「改めて、よろしく」という意味合いの飲み会であった。実際、社長は「オレのすべてをかめちゃんに伝授する」などと恐ろしいことを言っていたし、ぼくも「そうなるのが成り行きかな」とぼんやり考えていた有り様だった。

 そしてその飲み会で、ぼくは酒の席で生まれて初めて「つまらない」と、重く感じていたのである。
 ビールもウイスキーも、これでもかというくらいに、まずかった。しかも、飲んでも全然酔えないのである。頭の芯の部分に、微動だにしないカタクナサだけがあった。
 なぜか。
 ぼくは、「この飲み会の後、みんな、あぁヤレヤレ、やっと終わった、と感じながら、それぞれの家路を帰っていくだろう」ということを感じていたからだ。これは、たとえばぼくがピエロになって、その場をどんなにモリアゲることができたとしても、避けられない宿命のように思えた。
 いや、そんなこと、できやしなかった。ぼくには、目の前にいるオトナたち、彼らの生きて来、これからも生きて行くだろう世界を目の当たりにして、ぼくもその世界の一員として入って行くのだという自分の未来図を心に描き、まったく途方に暮れていたのだ。

 宴がやっと終わり、駅へ向かい、ちりぢりに別れる。ひとりになる。
 ひとりになったら、急に酔いが回り始めた。
 ぼくは妻の待つ部屋のある、小田急線の登戸駅で降り、改札へ向かう階段途中で吐いた。吐いてみると、さらに積極的に、攻撃的に吐きたくなった。あの宴の場で、自分が吸っていた空気、あの世界へこれから飛び込もうとする自分、あの場でぼくが吸収していたもの、それらすべてを、体内から吐き出したかった。

 多摩川のすぐそばの賃貸マンションに、ぼくらの部屋があった。
 鍵を開けてると、妻がぼくを出迎えた。ぼくは、妻の顔を見た瞬間、止めどもなく泣き出していた。彼女の胸で、オイオイ泣いていた。
 それからぼくは何日間かの「出社拒否」をし、家で料理をつくったり、ファミコンのTVゲームを妻と一緒にやっていたりした。電話の呼び出し音をOFFにして。
 結局ぼくはまた現場に戻り、アルバイトという立場で貯水槽の清掃をし、生計を成り立たせることになったのだが、「酒」の話から、だいぶズレてしまった。

 ぼくが云いたかったのは、「合わない相手とお酒を飲んでも、つまらないよ」という、それだけのことなのだった。
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