第157話 音楽と読書と毎日と、ひとり

文字数 788文字

 これがなかったらどうなってしまうのか、という存在。
 モーツァルトは、あきらかに音楽の神様がモーツァルトの体を介して奏でた音楽に聴こえる。
 もはや、人間のつくった音楽ではない。
 1月9日の愛知県芸術劇場大ホール、「フィガロの結婚」が楽しみである。
 本は、やはり椎名麟三。
 人間的な、あまりに人間的な、思慮深く考え続け考え続け書き続けた作家。
 こういう人が生きていてくれたということを知っただけで、僕は幸運だったとさえ思う。

 それにしても。
 毎日がまったく風のように流れている。
 働いて、寝て、起きて、働いて、寝て、起きて。
 もちろんこうしてブログなんかをやる時間もあり、手紙を書く時間もあり、家人と話す時間もある。
 でも毎日の生活の絶対的な基本──どうにも変え難い鉄壁のような路線──は、働いて、寝て、起きて、なのだ。

 ひとりというのは贅沢だなぁ、と思う。
 何かをつくり出すのは、ひとりの時だ。
 僕はひとりで音楽を聴き、ひとりで本を読む。
 何もつくり出していない時間でも、それは何かをつくり出す糧のような時間になる。

 ただ、閉塞しているな、と感じることが多くなった。
 僕は自分の殻に閉じこもり、僕自身のつくり出す内面の波に飲まれそうになる。
 とことん飲み込まれたなら、と夢想する。
 でも僕のまわりには当たり前のように人がいて、ほんとうにひとりぽっちになることはできない。
 かろうじて、そのおかげで僕はドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公のようににならずに生きているようである。
 しかし、そのために半端者であるという代償も払い続ける。
 代償? 一体、何を等価としての代償なのだろう。

 悶々としがちな僕の日常に、音楽と本、そしてささやかなひとりの時間が、水をまいてくれている。
 クリスマス、お正月、きっともうすぐ来るのだろうけど、とにかく1日。1日、1日ですね、大切なのは。
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