第189話 期間従業員日記(5)

文字数 1,607文字

 過日、I君が寝違えて、休憩所のテーブルにうつ伏せになっていた。その週は1直(昼勤ですね、いわゆる)だったので、朝6時頃、僕は休憩所に「おはようございます」と入って行った。
 I君がうつ伏せになってピクリとも動かないので、気になった。
「どうしたんですか?」
 僕がいつも座る席は I君と遠いので、隣りに座るTさんに訊いた。
「わからん」Tさんも、事情が飲み込めていない様子だった。

 後日、いつも昼食を共にしているS君から聞いた話だと、I君は寝違えて、首が動かなかったのだという。
「オレが腹立ったのは、Fさんのこと…」と、S君は喋り出した。
 I君もS君も、早くに休憩所に来ていた。そこに、Fさんもいた。(Fさんとは、EXという役職にいる人である)
「どうした?」FさんはI君に訊いた。その時は真剣に心配そうだったという。
「寝違え」が原因と分かると、Fさんは、あからさまに安堵の表情を浮かべたという。
 で、S君は、「なんだこいつ」と、Fさんに対して感じたというのだ。

 つまり、「仕事上で身体にトラブルが生じたのではない」と分かったら、「もうどうでもいい」という心境にFさんが陥ったことを、S君は見逃さなかったのだ。
 
 やはり期間従業員のO君が39℃もの熱を出したことがある。
 その時のFさんの対応も、実に冷たかった、とO君は言っていた。もちろん「仕事上の疾病」ではなかったからである。
 やはり期間従業員のNさんが風邪で早退する時、工場から寮まで「タクシー」なのだった。もちろん自前である。さらに病院を経由してタクシーで帰寮となると、5000円もの出費になるのだ。

 なかなか、冷淡な職場だなぁ、と思う。
 僕が以前いた職場では、上司が知り合いの正社員の誰かに頼んで、40℃近く発熱していた僕を寮まで送ってくれたものだった。
 しかし僕がもんだいにしたいのは、Fさんという人間の、従業員に対する、ひととしての何かである。
 そしてさらにもんだいにしたいのは、そういった人間を、役職に就けさせる、この会社の体質である。
「寝違えた」=「オマエの勝手」、「熱出した」=「オレには関係ない」。

 就労中、作業中に従業員がケガなんかしたら、「安全管理上」、役職にあるFさんのセキニン問題、いわばFさんの「査定」に関わる問題になる。だが、熱を出して苦しむ人間や、寝違えて首も動かず苦しむ人間は、Fさんの「管轄外」なのだ。
 管轄外なのは分かる。発熱や寝違えは、自己管理の問題、と言ってしまえばそれまでだ。

 でもだよ。くるしくて、いたんでる人間に、管轄外だの自己管理だのと、そこまでいえるか?少なくとも、そういわんとしてるような態度をとれるか?
 はっきりいって、僕も腹が立ったのである。
 だが、とも思う。
 Fさんにも家庭があり、曲りなりにもエキスパートという役職に就いたのだ。
 やっと週刊誌が取り上げるこの会社の「高額所得」の対象になり得る給料をもらえるようになったのだ。それは、あくまでも「仕事」をやって、のことなのだ。仕事をやって、上からの査定も良く、「優秀である」から、ということなのだ。人間的な魅力はさておき。

 そして、とまた思う。
 効率主義、生産主義、ああ、そうでしょう。
 そういったシュギの空気を吸って生きるのがこの社会であるなら(そうなんだろうナ)、この会社はまさに素晴らしい成功した企業なのだろう。
 で、この会社を見習おう、と多くの企業がここのマネをしようとするというなら、そらおそろしくなってしまう。
「正」は、ある。でも、「負」も、かならず付随して、ついてまわる。
 オトナがつくっている会社。それは、社会である。
 なんというのだろう、ひととして、どーなんだ、という人間が、はびこりかねない社会…。

 査定にしか、敏感になれない人間なんて。
「俺らは、そんな人間にならないようにしましょうね」
 やはり期間従業員のHさんから、メールをもらった。
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