第639話 憲法のこと

文字数 1,036文字

 一応大学で一般教養課程の「法学」を受けていたけれど、あまりにも不勉強な学生だった。だから日本国憲法について理路整然と一言できるほどの知識は無い。
 でも、お坊ちゃま総理が躍起になって推し進めようとする憲法改正、つまりは、れいの「九条」が改正されるということについては、怖さを感じざるを得ない。
 アメリカによってつくられた憲法とはいえ、「戦争はしない」という法は、あっていいのではないか。守っていいのではないか、とおもう。

 改正しない場合、問題になるのが、れいのイラクへの自衛隊派遣の際、あるいはどっかの国から攻撃を受けた際、要するに「法がジャマになる」ということのようだ。
 つまり九条が改正されるということは、海外へ、殺傷兵器をもった人間が、何の足カセもなく飛べるということになるのだ。
 どっかの国がミサイルを撃ち込んで来たら、堂々とやり返すことができるということだ。そして「自衛」については、どこまでが「正当」防衛で、どこから過剰防衛になるか、線引きできる問題でもない。
 ただ、どっかの国が攻めて来た場合、「正しさ」という意気込みの下に、「あいつら、許せねぇ」と、やり返すことが容易にできる環境が整う、ということだろう。
 そうして戦争は、いつもそういうふうに始まるような気がする。

 イラク戦争は、あの「9.11」から始まったのだ。
 テロをやるヤツが悪いのはもちろんだが、やり返すヤツも悪い。それを、ぼくはあのイラク戦争、今も続いている現実から、まなび取らざるを得ない。

「戦争なんか、誰もしたくない。悲惨なこと、繰り返してはならないことです」と、多くの人が口を揃えて言う。
 ならば、その誰もしたくない、悲惨な、繰り返してはならない戦争を、起こしうる芽をもつ憲法改正には、反対の意志表示をしたほうがいいのではなかろうか?

 ウヤムヤなまま事を運ばせるのが得意な政治家たちである。やさしげな曖昧さに安住していると、とんでもないことが待っていそうである。
 戦争は、してはならない。その発芽に繋がるものには、早めに取り除いたほうがいい。

「攻めてきたら、どうするんだ?北朝鮮が。」
「北朝鮮のことは知らない。ぼくはやり返したくない。」
「やられっぱなしかい。お前みたいな人間ばかりになったら、この世界、ヒットラーやフセインの意のままになったろうよ。」
「世界のことは知らないよ。ただぼくは、自分の信念を通したいだけ。戦争はいけない、人を殺傷するのはいけない。ごめんね、ただそれだけなんだ。」
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