第854話 クロのこと

文字数 1,400文字

 ぼくが中学生の時、セブンイレブンの店長をしていた近所のおじさんから電話が来た。たまたま、ぼくが出た。
「〇くん(ぼくの本名)、犬、飼わないか? お客さんがね、誰か、もらってくれる人いないか、って来てね。まだ子犬なんだけど。」
 親の了承を得てから、受けるべき話なのだが、ぼくは勝手に即答していた。「はい、飼います。」

 その頃、つきあっていた恋人が、捨てられていた犬を拾って、彼女の家で飼う用意ができるまで、ぼくの家で預かっていた。その犬は皮膚病で、彼女と一緒に、毎日、薬のシャンプーで洗っていた。獣医も、「拾ってきて、飼うなんて、えらいね」と、医療費をかなり安くしてくれた。
 その犬が、彼女の家で本格的に飼われ始め、ああ、犬、やっぱり可愛いな、と母も父も思っていた時の、いいタイミングでの電話だった。

 ぼくの親は、とにかく放任してくれて、ぼくを育ててくれたので、犬を飼うことについて事後報告しても、認めてくれた。
「クロ」と名づけた。体全体はほとんど黒かったけれど、両目の上には清少納言みたいに「○○」が白く付いていて、耳の後ろが薄茶色、頬は白く、お腹も白く、足は茶色と白で、耳はお辞儀をしていた。
「大きくなったら、耳、ピンと立つよ」と言われたけれど、立つことはなかった。散歩をしていると、お辞儀した耳が、ピョコンピョコン上下運動して、可愛かった。

 雑種なのだけど、「ねぇ、シェパード?」と子どもに話しかけられたり、目の上の「○○」で、目が四つあるようにも見えるせいか、「ヨツ、ヨツ」と、いつも話しかけてくる、散歩途中のおじさんもいた。
 よくお菓子をくれるおばさんもいた。クロは、ほんとに人懐っこくて、おとなしい、お利口な犬だった。いつも可愛がってくれる、そのおじさんやおばさんを見ると、尻尾をちぎれんばかりに振っていた。

 母親が、ぼくの代わりに散歩に連れて行っている途中、雪で母は転んだそうである。持っていた綱を母は手放し、自由になったクロは走ってどこかへ行こうとした。だが、ハッと後ろを振り向き、転んで立ち上がろうとしている母のそばに戻って、「大丈夫?」と言いたげに、心配そうに、母を見ていたそうである。

 クロは、散歩と、ご飯と、日光浴とブラッシングが大好きだった。
 散歩する相手のこともよく見ていて、父、母が散歩に連れていく時は、歩いた。ぼくが散歩に連れていくと、必ず走った。
 ご飯は、ドッグフードと、近所のパン屋からもらうパンの耳と、キャベツを一緒に茹でたものだった。
 首筋あたりをブラッシングしていると、「そうそう、ソコが、かゆいんだよ」とばかりに、首筋あたりをグググとこちらに身を寄せてきて、気持ち良さそうにしていた。

 ぼくは結婚して、実家を離れた。その後も、クロは元気でいてくれた。たまに実家に帰って一緒に散歩しても、やっぱり走った。ゼイゼイ言いながら、ぼくも走った。

 クロが、死んだ、と、母から電話が来たのが、クロの17歳の時だった。老衰だった。
 散歩していても、すぐ帰ろうとするし、ヨボヨボしてきたなぁ、とは、思ってたんだ。父が言った。
 でも、ほんとにいい犬だったな、病気ひとつしないで、よく、人の話が分かって…。

 クロは、家族の一員だった。
 クロが旅立って、もう10年近く経つ。ぼくは、クロのことを、今も、よく思い出す。
 もしぼくが死んだら、クロとまた会えるだろうか、とか考えながら。
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