第40話 最終電車

文字数 1,690文字

 まだ関東近辺をうろうろしていた頃、よく最終電車に乗り遅れた。
 始発が動き出すまで3、4時間後だし、ホテルに泊まるのももったいないし、大体そのまま野宿することになる。

 一番つらかったのは、2月の夜である。吉祥寺あたりで誰かとカラオケして、そのまま私は帰れなくなった。仕方なく井の頭公園に行った。とにかく風が強くて冷たかった。それでも階段に1人のホームレスのかたが毛布にくるまって寝ていたりしている。

 電話ボックスがあったので、入って風をしのごうとする。だが電話ボックスの足元には、おそらく10センチくらいのスキマがあったのだ。そこからビュービュー冬の冷たい風が吹き込んでくる。体育館座りをして、ジャンパーの中にひざを入れるが、やはり寒い。しかし全身に風が当たらないだけ、ましだったのだろう。
 そのまま朝になり、そのまま仕事に向かった。

 やはり中央線の、三鷹あたりで乗り遅れた時は、閉まった駅のシャッターの前で横になっていた。手前の広場のような所の花壇のそばには、サラリーマンが同じように横たわっていた。
 誰かから声をかけられて、そのほうを見ると、知らないおじさんが立っていた。おじさんは私の前に座って何か話し始めたので、私は座り直してその話を聞いていた。内容はよく覚えていない。
 すると、どこからかもう1人、知らないおじさんがやって来て、私たちに加わった。
その人の手には発泡酒が4、5缶あり、なんだか3人でフタを開けて乾杯した。

 この新参のおじさんは、「寒くないか、カサ持ってこようか」と、もう一人のおじさんによく話しかけていた。
 そして「新しい人?」と、私のことを訊いていた。
「いや、電車に乗り遅れたんだって」おじさんは答えた。

 そのまま3人で朝を迎えた。発泡酒を持ってきてくれたおじさんは、去っていった。帰る家がある人なのだろう。
 残されたおじさんが言った、「これからパンをくれる所に行くから、一緒に行かないか」
 私は、めぐまれない人にそういう慈善的な活動をしている人がいるのだろうと思った。

 始発電車に乗って、新宿へ向かう。座席に座ると、おじさんはすぐに口を開けて眠り始めた。
 履き潰した靴と着疲れた洋服のおじさんと、その横に座る比較的ちゃんとした身なりの私のふたりを、乗客が汚らわしいものでも見るように、じろじろ見ていた。
「何事も、経験だよ」とおじさんは目を覚ました時、私に言った。

 新宿に着くと、おじさんは地下街のパン屋に入った。私もついて行った。陳列されたばかりのパンが、きれいに並べてあった。おじさんが店に入った時、店員がひとり、舌打ちした。
「いいかい、私と同じことをするんだよ」とおじさんは言った。私はうなずいた。
 すると、やにわにおじさんは陳列されたパンの2、3を取り、上着のポケットに入れたのだ。私も言われた通り、その真似をした。
 ─── これって、万引きなんじゃないか。それとも、店とおじさんの間、暗黙の了解でもあるのだろうか。

 もちろんそんな了解などなかったのである。店員が、厨房から「今ポケットに入れたの、出して」と言った。その口ぶりは、少し怒っていた。
 おじさんと私は素直に出して、元の場所に置いた。おじさんはちょっと不満そうだった。
 で、私とおじさんは店を出たのである。何もなかったように。店員も、何も言わなかった。
 そしておじさんはどこかへ行くと言い、私は家に帰るために電車に乗る。そこでお別れをした。

 ひとりでの野宿は心細いが、仲間がいるとそうでもない。友人数名と新宿で遊んでいて、みんな帰れなくなった夏の夜もあった。みんな横になりたかった。
 花園神社にたどり着き、境内に横になった。女の子がひとりいたけれど、彼女はすぐに寝息を立てていた。この娘は、原発反対の1万人デモに一緒に参加した時も、会場である日比谷公園の花壇のまわりを囲う石垣の上で、堂々と仰向けに寝てぐぅぐぅ眠っていた。大物であった。今、彼女はどうしているのだろう。

 わけのわからないうちに、時間は確実に過ぎていってしまった。
 そして今も、私にはわけのわからないことばかりなのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み