第457話 涙のもとは

文字数 1,417文字

 キムチ鍋をつくって、居間。テレビ。NHK。夜、日曜日。
 リモコンで画面まわしてたら、「大石静」の名前。ぼくの好きな脚本家。「わたしって、ブスだったの?」という本は、共感しながら読んだもの。
 柄本明の名前も出た。好きな俳優さんである。
 このテレビ、NHKの大河ドラマだった。
 うまれて初めて、最初から最後まで見た。子どもの頃、親がよく見ていた記憶がある。

 またしても、泣いてしまった。勘弁してほしい。こないだ、9.11の、あのテロの特別番組を見て泣いたばかりだのに。
 仲間ゆきえのダンナが主人公らしい。徳川家康を、柄本明がやっていた。
 その主人公と仲間ゆきえの育てた子どもは、捨て子だったらしい。仲間ゆきえが産んだ子どももいるのだが、その捨て子だった子は、素直な、ほんとにいい子だった。
 で、主人公は、自分の跡継ぎに、その捨て子だった子を、と考えていた。
 だが、そんな血のつながりのない子を跡継ぎにしたら、よろしくないということになった。

 主人公と仲間ゆきえは、ある日、その子に言った。「仏門に入れ。」
 子は言った、「わたくしは、武士になりとうございます。」
「ならぬ。」
「なぜでござますか。わたくしが、捨て子だからでございますか。」
 仲間ゆきえも主人公も隠していたらしいのだが、子は、知っていた。

 ああ、捨て子だからという理由だけで、なぜ、そんな…。

 結局、子は、仏門に入るために家を出る。かなしい、別れである。
 わたくしが、捨て子だからでございますか。
 もう、この時点で、涙が止まらなくなってしまうのだから、どうしようもない。

 テロの特別番組の時もそうだった。
 強大な力、自分ではどうにもならない、圧力に向かって、一生懸命なにかする、その姿に、ぼくは必ず、他愛もなく涙する。

 これはたぶん、ぼくの細胞をつくっている祖先のだれかに、そういう人がいたからなのだろう、と想像する。断っておくが、ぼくは宗教はもっていない。むしろ、全世界、無宗教になれと思っているような人間である。ただ、自分の身体からの反応、感じる何かで、そういうことがわかるような気がするのだ。

 ぼくは、そのひとの、かなり強い細胞をもっているようなのだ。父、母、祖父、祖母、それよりもっともっと前の。
 そのひとは、どうも、何かに立ち向かっていったか、あるいは、その何かをほんとうに無念のうちに自分に受け入れ、その結果ひどい事態になった何かを見たようなひとだったと思う。

 ぼくが今日本の愛知の町にいて、なんだか生きにくいなぁと感じるのも、どうもこのシャカイというものが、腑に落ちないものだからではないかと思ってしまう。東京にいた時もそうだったけど。

 そのひとは、誰だか知らないけれど、社会的には、けっして強い立場にいたひとではなかったように思う。だが、芯の強いひとで、何が善で何が悪かということを、知っていたひとのように思う。ぼくには、知ることなんかできないのに。

 ぼくがテレビなんかを見て(滅多にテレビなんか見ないのに、たまに見るテレビに限って、泣いたりする。そのテレビは、ぼくを呼んでいたのかナ)、必ず、こういう場面で泣くのである。
・己の力は、あまりにも微力。でも、向かわなければならない壁に向かう場面。
・その壁は、もう、動かしようもない。でも、動かそうとせざるをえない己が、力を振り絞る場面。
 そこに、ぼくの細胞が強く反応して、涙を流す。

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